年齢がまだ若いので、気持ち次第で転職はなんとかなってしまう。もし未経験でも異業種でも、面接官とのフィーリングがあえば合格する。そんな夢の年齢なわけです。
中小企業であれば、社長さんかもしくは役職の方の決裁権が恐ろしいほど強いのでタイミングがあえば1回の面接だけで受かる。
そのタイミングを掴むために必要なのが折れない心をもった「やる気」なんです。
次に20代の転職活動ですが、まず行動してほしいのは「転職サイト」への登録です。
ハローワークでも転職は当然できますが、求人の質を考えると転職サイトのほうがもの凄く求人がいいです。
だから、まずは転職サイト。そこで頑張ってみてどうしても駄目だったら、ハローワークで。という流れをおすすめします。
正社員での転職に絞る必要もありません。将来的に仕事をずっと続ける予定がないのであれば、派遣はメリットの多い働き方です。
その他にも気になる職種の求人をチェックしていくと、自分が覚えておいたほうがいい知識、足りないスキルが見えてきます。
→リクルートスタッフィング・・・私も利用してますが他社とは断然違います。派遣登録するなら絶対に登録しておきたい会社です。
[box class=”box26″ title=”体験談その1.退職は確固たる意志を持って告げるべし”]
気がつくと29歳・・・女である私が30歳間近にして退職を決めた理由、それは自分の将来に不安を持ったためです。職種は広報でしたが、広報は大手企業でないとその強みを発揮できません。
当時は中小企業に勤めていたため、将来のことを考えると、広報として大手企業に転職するか、自分が興味を持っていたWEBディレクターに転職するか、で悩んでいました。
そんな折、人材紹介会社に登録し、転職活動を始めることにしました。頭でいろいろ考えていてもしょうがない、と思ったことが登録のきっかけです。
登録してすぐに、広報とWEBディレクターの職種で100件近くの仕事を紹介してもらえました。そのなかから、自分が興味を持った企業とその仕事内容をピックアップして、計5社ほど受けました。
自身が思っていた以上にとんとん拍子に話が進み、人材紹介会社に登録してわずか1か月半後に内定が出ました。
内定を受ける事を決めた翌日に上司に退職の申し出を行い、3週間後には退職、その1週間後に現在の会社に入社しました。
退職の時は、上司から何度も引き留められ、社長からも待遇面などに関して引き留めを受けましたが、断固として退職を主張しました。
転職で重要なことは、自分の確固たる意志だと思っています。
引き留められた、待遇が良くなったからと言ってとどまることは、自分にとっては良い結果になったと思うかもしれませんが、会社にとっては「あいつは待遇次第で何とかなる」という印象を与えてしまい、その後の昇進にも少なからず悪い影響を与えます。
一旦退職を申し出たのなら、あとは引けないと考えた方が自分の将来にとってベターです。
[/box]
[box class=”box26″ title=”体験談その2.ブラック企業に出会ったとき”]
私の職業は薬剤師です。
薬剤師と言うと、資格があって職場も選び放題で良いわね・・と思われがちですが、薬剤師は現場経験が無ければペーパードライバーと同じです。
そして、薬が新しく入れ替わるので、医薬品情報を熟知していなければ使いものになりません。
間違えばタダでは済まない仕事です。時給がそれなりに良いということは、リスクも抱えているのです。
私は、妊娠、出産で以前働いていた製薬会社を退社し、娘が小学校に入学したことをきっかけに調剤薬局に入社しました。
そこが、とんでもないブラックに当たってしまったのです。
夫婦経営の小さな薬局でしたが、どうも次から次へとスタッフが退社していきます。感じの良さそうなご夫婦なのに・・と思いながら働いて2週間ぐらい経ったころ、男性の経営者のほうが、ある社員を怒鳴り散らしていました。
「お前がやっただろう!!反省しているのか!!」と。「反省していないよな!!始末書を書いて来い!」
私は、何が起きたのか更衣室で聞いてみたところ、粉の調剤を間違ってしまったとのこと。幸い、患者さんには行かなかったものの怒鳴り通しとのことでした。
さらに次の日も、その次の日も連日のように怒鳴り声は止みませんでした。
結局、その人はたった1回のミスで会社を辞めさせられました。
私は、製薬会社の前に病院と調剤薬局の両方の勤務経験があったので、この薬局は異常だと思い、半年の勤務後に転職をしました。
その間に辞めていった人は3人を超えていました。パワハラでミスを誘発していると思ったからです。
薬剤師は間違ってはいけない仕事ですが、チームワークでお互いにチェックしながらミスをカバーし合っています。パワハラで協力体制を作れない職場は、ブラックと言わざるを得ません。
現在、私は大手企業が経営する調剤薬局に勤務しています。
大手がバックにあるので、非常識な発言や行動を取る人はいないので、安心して仕事に取り組んでいます。
企業とは何か、雇われているとは何なのかを考えさせられる経験でした。
[/box]
[box class=”box26″ title=”体験談その3.華やかだと思っていた美容部員が実は地獄で転職しました”]
元々化粧品業界に憧れを抱いていた私は、大学を卒業と同時に化粧品メーカーの美容部員として働き始めました。
ところがこの業界と言うのは見た目とは全く正反対のドロドロとした人間関係はもちろんの事、毎月のノルマは相当厳しく毎月売り上げに対して順位まで発表されてしまうのです。
女性の職場なので客の取り合いはもちろん自分の売り上げも勝手に取られてしまうなど、どうしても我慢が出来なかった事で退社を決めたのですが、その日からリクナビや派遣会社に登録をして転職活動を開始し、合わせてパソコン教室に通って必要なスキルを身につけました。
中々給料面や雇用状態が見合う転職先は見つからなかったのですが、大手の製薬会社が契約社員を募集しているとの事で、早速面接に
行きました。
契約社員と言う事で私が求めている雇用条件とは全く合わなかったのですが、聞いてみると正社員の昇格もあるとの事だったので、何とか採用してもらいたく思い、かなりのアピールをしました。
結果は見事合格だったので、化粧品会社を退職してから約4か月後には製薬会社の契約社員になりました。
現在は転職して3年になるのですが、そろそろ正社員の道が見え始めているので、雇用条件に最初は見合わなくても将来性をしっかり見据えて選ぶ事が大事だと感じました。
[/box]
[box class=”box26″ title=”体験談その4.トリマーからwebの世界へ。転職を実現させて今では楽しく仕事をしています。”]
私は28歳女性です。去年転職し、今の会社では本当に楽しく仕事をすることが出来ています。
でも今の仕事を手にするまでには本当に険しい道のりでした。
私は犬のトリミングの専門学校を卒業後、新宿にあるトリミング専門店に勤務していました。毎日大好きな犬と一緒に仕事出来るのは私にとって最大の喜びでした。
ところがそんな私に悲劇が訪れたのです。それはある日、トリミングでボルゾイという大型犬のカットをしていた時のことです。
ボルゾイの口周りのカットをしていると、ハサミの刃が一瞬ボルゾイの鼻に触れてしまって、それが怖かったためか、私の腕に噛みついてきたのです。相手は大型犬ですから、噛みつく力もすごく強いのです。
そのせいで、私は腕を5針も縫うことになりました。
そのことが心に大きな傷を負ってしまい、もう犬のトリミングなど恐怖で出来なくなってしまったのです。ハサミを握っただけで手が震えてしまい、手汗でハサミを落としてしまう程でした。
そこから転職活動がスタートしたのですが、私にはトリミングの経験しかないので他業種への転職をするにはそこまでかんたんに行くとは思っていませんでした。
そのため、まずは求人を紹介してくれるサイトに登録だけしてみて自分がどのような立ち位置にいるのか把握するところから転職活動を始めました。
どんな求人があるのか。応募できそうなのか、足りないスキルはなにか、どんな仕事に興味をもてるか、などなどです。
ゆっくりとマイペースに活動をすすめ、半年後に無事転職先が見つかりました。まず自分の棚卸しをして見つめなおしてみる。というのは結構おすすめの方法です。
[/box]
→リクナビNEXT・・・まず最初に登録しておきたい転職サイト。
[box class=”box26″ title=”体験談その5.同じような職種の企業を中心に転職活動”]
事務職での転職活動をする際に、一番多く面接の機会をもらえたり内定をもらえたのは、同じような商品を扱ったり輸入販売をしているところでした。
もちろん会社の扱う内容によって、それぞれ求人の募集を多くしているだとか、めったに求人がない業界だとかの違いはあると思いますが、関東だったら関東、関西なら関西とかなり広めの地域を検討し、場合によっては引越しも大丈夫だとの覚悟で面接に望めば、採用側もきちんと検討をしてくれます。
たいていの企業は、現在面接に進む前に履歴書の郵送や、WEBでの経歴書を送付といったことがありますので、まずその段階で自分がその商品についての知識があることや、分類などがわかることをアピールしておくと興味をもたれやすいようでした。
ごくまれに、直接の採用担当の方に面識はなくとも、前職での取引先であった企業に応募した場合などは「お電話で御社の営業部の方と、取引でのやり取りさせていただいたことが何度かあります」などと書き添えておくと、相手がこちらに良い印象を持っていれば、後押しをしてくれることもあるようです。
女性の事務職は、一定年齢以上になると転職が厳しいといわれます。
もし自分の持てる知識が役立てるなら、そういった点を強みとしてアピールすると、興味を持ってもらえるようでした。
[/box]
[box class=”box26″ title=”体験談その6.あこがれのCADオペレーターになれた事”]
大学入試失敗、浪人する気もなくフリーターをしていました。
どちらかというと、人に接する事が苦手な性格だったので、家で出来る仕事を探していました。
トレースとい図面を描く仕事があるので、トレースの勉強をして資格をとりました。しかし、トレースの仕事はなく、あったとしても経験がないと断られてばかりでした。
しかたなく、近所のスーパーで社員募集があったので受けたら受かり、スーパーで働く事になりました。スーパーでは人と接する事も多く、人と話すのが苦手な事が克服できました。
年配の男性、おじちゃんって感じの人って、気難しいくしゃべりにくいと思っていましたが、若い女の子と話するのって、うれしい事のようです。
パートのおばちゃんって感じの人も、怖いって思っていましたが、若い女の子には優しいものです。
スーパーの仕事では人間関係の勉強ができたと思いました。ただ、私の働いていたスーパーはお給料安かったのが一番辛い事でした。
20代半ばで、毎日同じ事の繰り返しのこの仕事で良いのかと思っていた頃、トレースの仕事がコンピューター化され、CADという物になっている事を知り、スーパーで働きながら、CADスクールに通いました。
スーパーは退職し、CAD技能検定に専念し1級をとる事が出来ました。
そこから、仕事探しですが、資格を持っているだけではなかなか採用してもらえませんでした。何社も面接し、金型の会社で採用してもらう事ができました。
それから、派遣の仕事に転職しましたが、お給料も上がったので、職を変えてよかったです。
[/box]
[box class=”box26″ title=”その7.会社内での自分の将来が見えず転職”]
私は新卒である企業に就職しました。
その企業はアウトソーシング事業を手がけていて、私はある大手企業の一部署に配属になりました。
配属先の先輩方は仕事には厳しかったですが頼りになる方々で、オンオフの切り替えもはっきりしていてお昼休みなどは雑談など楽しくできる良い雰囲気のところでした。
右も左もわからず、がむしゃらに仕事を覚え目の前の仕事をこなしながら数年が経ちました。
だいぶ仕事にも慣れ、少し余裕が出てきた頃です。ふと今の会社での自分の将来像が不安になってきました。
「社員は使い捨てなのか?」
数年在籍して私が自分の会社に感じたことです。
その思いは社内の雰囲気、他の社員の様子から年々強くなってきました。
そこで私はこの会社に長くはいられないと転職を決意しました。
しかし家庭の事情が厳しく、空白期間をあけられなかった私はフルで働きながらの転職活動になります。
平日に動けない私は試験で合否がほぼ決まる公務員に狙いを定めました。勉強時間は平日帰宅後と休日です。
かなり辛かった期間でしたが無事合格できた時は本当に嬉しかったです。
転職先は会社がなくなることはないですし、福利厚生も充実していています。
仕事はやはり楽なことばかりではないですが、なにより前の会社で感じていた「使い捨て感」は全くなく会社全体で頑張ろうという雰囲気が心地よく充実した毎日を送れていて幸せです。
[/box]
これは私(管理人)の体験談ですが、リクナビに実際に登録をしてみました。
まずはメール登録です。これは本当に30秒もかからず終わります。簡単です。
次に、そのままレジュメ登録といって、自分の履歴なんかを書くことになります。
これがちょっと入力が面倒なのですが簡単にでもいいので、少しだけ記入してまずは登録完了まで進みました(20%ぐらいの入力だけ)。
そうすると、その日のうちにプライベートオファーが来ました。企業そのものからも来ますし、中小の転職エージェントからも3件~5件ほどの連絡が来ました。
レジュメが20%の出来でもどんどん来ます。そこまで詳しくは見てないんだと思います。
ここでわかるのが自分の立ち位置です。どのようなオファーが提示されるのかで、なんとなく向いている転職先がわかります。これが思いのほか役立ちます。
オファー相手(企業や転職エージェント)もアバウトに送信しているので、このオファーメールに対しては、そのまま返信をしなくても問題ありません。
なかには「ちゃんと自分のスキル見てるな」という提案もありました、気になる場合はここで返信をして面接・面談するといいです。
リクナビNEXTは完全に自分で求人を検索するシステムだけだと思っていましたが、実際に登録してみるとオファー部分は中小の転職エージェントから連絡が来る形になっています。これは意外でした。
検索もできて、転職エージェントの利用も出来る形になっています。
自分でどんな求人があるのか調べたい場合や未経験の職種にチャレンジする場合なんかは自分で求人を検索するのがいいでしょう。
求人を見るだけでも足りないスキル、勉強しておきたいスキルがわかってきます。気になる企業にまず面接の申し込みをしてみるのも手です。
受かればラッキーですし、受からなくても、やはり自分に足りない部分が見えてきます。
いきなり100%全開で転職活動をするのもいいですが、まず段取りを踏んで30%ぐらいの気持ちでゆとりをもって活動していったほうがスムーズで効率的な転職ができると思います。
→リクナビNEXT・・・なんだかんだで、やっぱりリクナビが基本。登録だけでもしておくべきです。
]]>[box class=”box26″ title=”面接で子供を作る予定を聞かれることが多い”]
学卒業後から工場で働いていました。
医療機器製造の工場で、製品の検品作業から事務作業まで幅広くありました。退職しようと思ったきっかけは、体調不良によるものでした。
毎日全身長袖、ヘアキャップ、帽子、手袋を装着しての作業となるのですが、製品の虫や異物混入を防ぐために窓はすべて閉め切っています。
そのため換気は換気扇とエアコンしかできないのですが、この環境が私にはとても合いませんでした。
働いてから三年たつと、しっしんが全身に出来始め、毎日のぼせやふらつき、めまいを感じるようになりました。
暑さもかなり感じ、エアコンもあまり聞かない状態でした。しっしんは免疫力の低下と思われます。
そのため退職を決心しましたが、次の転職までが大変でした。
ちょうどそのとき結婚して新婚でした。
そのせいか、面接先からはすべて「子供を作る予定は?」と聞かれることが多かったです。女性だから、新婚だと特に子供が出来たらすぐやめてしまうと思われたようです。
私も先のことはわからないし、その場では子供が出来ても続けたいと伝えましたが、結局いい返事はもらえないこともありました。
それは出産してからも同じでした。
結局出産して三年してから、エステ業界に就職しました。思ったことは、結婚してまだ子供がいない女性は転職に不利だということです。
少し納得出来ませんでしたが、いまのエステの会社では技術をみがき、一生懸命がんばっています。
[/box]
[box class=”box26″ title=”20代のうちは子供の予定をよく聞かれた”]
20代中盤までは工場で事務をしていました。
結婚することになり、それでも二年働きましたがなかなか子供が出来ず、退職を考えました。
工場が体に合わなかったのか、体調不良に陥り全身湿疹が出来治らなかったので、環境を変えてみることにしました。
退職したら体調は戻り、回復していきました。
子供も欲しいと思いましたが、やりたいデザインの会社を見つけてそこに何社か応募しました。
そこで言われたことは毎回、同じでした。「子供の予定は?」
子供が生まれたら仕事するのはかなり難しいという内容でした。それでも働きたいと言いましたが、忙しいとのことで不採用でした。
女性は子供ができたらすぐに働けなくなるからと遠回しに言われました。
ホームページには、アルバイト、見習い随時募集とあったので、バイトなら入れると思っていたのが甘かったです。そこからはパートを探し、正社員での採用は諦めました。
子供を作る予定はあるかと聞かれたら、ありますと答えますし、女性にとってはかなり不利な質問だと感じます。
逆に30歳を過ぎると、そうしたことはだんだん聞かれなくなっていきます。
それも複雑で、転職活動はプライベートに結構踏み込んだ質問をされることもあるので覚悟が必要です。
[/box]
[box class=”box26″ title=”面接では子供のことを聞かれることが多かった”]
私は、大学卒業後に医療事務として働き始めました。就職して3年後に結婚し、それを機に退職する事になりました。
退職後は、専業主婦として家事や育児をしていたのですが、子供が2歳になった時に仕事復帰を考えるようになりました。
まだ31歳だったので、雇ってくれるところはあるだろうと考えていたのですが、現実はそんなに甘くはありませんでした。
仕事は、パソコンが得意だったので、正社員の事務関係を希望していました。
近くに親や知り合いがいなかった為、保育所の一時保育を利用して子供を預け、面接を受ける日々が続きました。
面接では、私の以前の仕事内容などが聞かれることはなく、ほとんどが子供のことについてでした。
「急に熱が出た時に代わりに面倒を看てくれる人はいますか。」
「子供さんが体調を崩されても、何日も休むことはできません。」など、私には無理な内容ばかりでした。
また、仕事をしていない時期が長いから心配だ、というようなことも言われました。
独身の時には感じなかった重圧を感じ、出産後の社会復帰には限界があるのかと感じました。
今は、処方箋受付の薬局のパートとして働いています。
希望は正社員だったのですが、なかなか条件が合うところはありませんでした。子供がいても、働きやすい社会はまだまだだと思いました。
[/box]
[box class=”box26″ title=”好きな仕事でも婚期を逃すのが不安だった”]
30代前半、周りの友達はどんどん結婚が決まっていく中、彼もいなくて婚活しなきゃとあせっていました。
しかし、制作会社で編集をしていた私は、ある大きな仕事のメンバーに入ってしまい、1か月ほど深夜残業と休日出勤が続きました。
肉体的にも辛かったのですが、それ以上に辛かったのが、「私は何をやっているんだろう」という精神的な辛さでした。
編集作業・校正作業は、拘束時間は長いですが、私は好きな作業なので、仕事的には辛くありません。しかしそういう気持ちの中、休みもなく、毎日遅くまで残って仕事をしているという状況が精神的に辛かったです。
周りはこうしている間にも、おしゃれをしてデートをしたりしながら結婚に向かって進んでいるんだな~と思うと、このまま婚期を逃してしまうのか・・・と不安な日々でした。
また、小さな会社だったので、残業代は「みなし残業」として月給に含まれているので、どれだけ残業をしても月給は増えません。
一人暮らしだった私は、こまめに自炊をし、お弁当を作って節約をしていたのですが、忙しくなるとそれもできなくなるので、コンビニや外食が増えてしまいます。
結果、忙しいのにお金はかかるという悪循環に、辞めたいな。と何度も思いました。
[/box]
さて、女性が転職するなら、結婚してから転職した方が良いのでしょうか?結婚する前に転職した方が良いのでしょうか?
その答えは、人事担当者の視点に立てば、すぐに分かります。
人事担当者は、女性を正社員として採用する際に、どのような点を重視しているのでしょうか?
最も重視しているのは、「採用後に、結婚して、すぐに会社を辞めたりしないだろうか?」という点です。
とにかく人事担当者としては、採用後に、短期間で辞められてしまうのだけは絶対に避けたいのです。
仕方のないことですが、結婚しても仕事を続けると言っておきながら、いざ、結婚して妊娠したり、育児が始まったら、仕事と両立する辛さを知り、辞めてしまう女性社員はいます。
会社からすれば、採用した女性を仕事ができるまで育て上げ、投資した分を回収することもできず、辞められてしまうのは、大きな損失となってしまうのです。
このような理由から女性に対して多くの会社は警戒心を持っています。そして、人事担当者としては自分の減点材料になることを恐れています。
では、会社側の警戒心を解くことができれば、採用に近づくことができるのではないでしょうか?
どうしたら、会社のすぐに辞めるのでは?という警戒心を解くことができるのでしょうか?
例えば、既に結婚していて、子育ても終わっているので、結婚や子育てで会社を辞めることはありません。
長く仕事を続けるつもりです。と面接で言えば、かなり説得力がありますよね?
実際に、子育てを終えた40代以上の女性が復職して正社員として採用され、会社の戦力になるケースが増えています。
ブランクは長くても、前のキャリアやスキルを活かして、再教育をすれば、もともと女性は頭が良くて器用なので、すぐに会社の戦力として活躍することができます。
だから、40代を過ぎてブランクも10年以上ある女性でも、正社員として採用してもらうことができるのです。
では、未婚の女性の場合はどうでしょうか?
未婚の女性が採用してもらうためのポイントは、面接で仕事への意気込みやスタンスを具体的に伝えることです。
例えば、私は30代後半まで結婚する気はないので、少なくとも、それまでは仕事だけの集中できます。残業や休日出勤をすることも問題ありません。このように面接で言いきってしまえば、人事担当者を安心させることができます。
また、さらに信憑性を高めるためには、キャリアビジョンを伝えることです。具体的なキャリアビジョンを伝え、その会社でしか実現できないことを説明すれば、この人なら会社を辞めないだろうと思わせることができるのです。
女性というだけで転職をする上で不利になる状況を工夫と努力でカバーしましょう!
実際、堂々と女性に、結婚観などを質問できる面接官は非常に少ないです。
なぜなら、そのような質問をして、セクハラされた!!あそこはブラック企業だ!!なんてネットで流されてしまえば、企業のイメージに傷がついてしまうからです。コンプライアンスに神経質になっている会社が増えている中、面接試験でも会社の評判を落とすような質問は面接官もできないのです。
基本、不利になるようなことは聞かれなければ、答えない方が良いですが、それだと面接官の不安を解消することはできないのです。
だからこそ、他の応募者と差別化を図るためにも、自分から結婚について、仕事を長く続ける意志があるのか?結婚しても正社員として仕事が続けられるのか?このような面接官が本当に知りたい部分を先回りして、自分で説明することが効果的なのです。
面接官が、そうそう、そこを知りなかったんだよ!と思うようなアピールができれば、採用される確率はグンっと上がるのです。
]]>[box class=”box26″ title=”困ったお局様”]
20代の頃、誰もが知っている家電大手のシステム開発部での出来事です。
部員は全て男性で、女性は私のみ。
しかし庶務担当に、別会社のお局がいました。
私より20歳くらい上で、でも歳の割には綺麗な人でした。
私が入社するまでは、男性社員の視線も言葉も、すべて彼女だけのもの。
同じ部の社員と不倫していたくらいですから、本当に彼女には良い環境だったことは見て伺えます。しかし私が入社してから、彼女の立場ば微妙なものに…。
よって私は目の敵!
雑務や、どうしても彼女にお願いしなければならないことなど、話しかけても恐ろしい態度で接してくるので、恐怖でしかたがなかったです。
「は?」
「しりません」
「そっちの会社なんだから、そっちの会社でやったら」
などなど。
何をしたとかしないとかではなく、私の存在自体がうっとおしいわけなので、どうしようもありません。
男性社員も分かっているのですが、彼女の機嫌をそこねると仕事に影響するので、誰も何も言いません。
いえ、言えないんです。
仕事よりも、彼女の攻撃が辛く、毎日が嫌で嫌で仕方なかったです。
辞めたい…けれどやっとつかんだ仕事です。
「男の人と一緒の仕事でいいわね」
(・・・わかってて入社したんでしょ?私はSE、あなたは庶務!)
「若い女の子はなんでも許されていいわね」
私は男女の境界線なく、夜中だってなんだってみなさんと同じ仕事をしているんです。17時前に机の上を片付け初めて終業チャイムを待つあなたと一緒にしないでください!
その人間関係さえなければ最高の職場なんですが・・・。
結局その後、彼女は同じ部の男性社員ではなく、別の男と駆け落ちしました。
会社も無断欠勤が続き、クビになりました。
それで気づきました。
「女でいたかったんだな・・・」と。
そんな人の為に痩せるほど悩んで辞めたくなって、私ってなんだったのでしょう・・・。
[/box]
[box class=”box26″ title=”仕事はできたが味方がいなくなった”]
いくら仕事ができたとしても、人間関係が下手だと、どの会社でもやっていくことはできないという実例です。
私は自分で言うのもなんですが、仕事はできるほうです。新卒で入社した時も、同期の中で、誰よりも早く仕事を覚えることができたし、テキパキと行動することもできました。
知識も行動力もあったので、上司から褒められる機会も多かったのです。
そんな私に嫉妬してか、同期の仲間からは避けられてしまうことが多かったです。
今思えば、私のほうも優越感に浸っている態度をとっていたから、それが嫌われる原因だったのではないかと反省しています。
出る杭は打たれるではありませんが、やはり、目立って褒められたりすれば、それを妬む人は必ず出てくるのです。
しかし、会社という狭い組織の中では、そういった短いモノサシでしか人が評価されないからだと思います。
そんなことがあり、最終的には1人も味方がいなくなってしまいました。
いつも1人でランチを食べたり、無視されたり・・・と子供のイジメのような仕打ちに耐えてきたのです。
そして、ついに退職を決意したのです。
せっかく新卒で入社して、上司からも気に入られていたのに、自分でも「もったいない・・・」と思ったのですが、当時の、まだ20代前半の頃の私は、嫌がらせに耐えられるほど大人ではなかったのです。
[/box]
[box class=”box26″ title=”性的な話題でからかわれた”]
私は新卒のときに、あるフェイシャルエステサロンに就職しました。美容に興味があったので、エステティシャンとして働けることがとても楽しみでした。
サロンは女性専用サロンなので社員も女性ばかりで、配属されたのは7人で運営している、小さな店舗でした。
仕事は忙しく、先輩はほとんど指導はしてくれず、私はほとんどエステの手の動かし方の順番を覚えた程度で、技術的なものが身につかないまま接客させられました。
そのため、利用者からの苦情が多く、私はどんどん自信を失っていきました。
そんな中で、先輩社員たちは私をからかったりするのが楽しかったようで、サロンにお客さんがいないときは性的な話題をふられ、私が曖昧に答えて逃げようとすることに腹を立てていました。
私は、自分がきちんと答えないために、先輩を苛立たせているということは理解していましたが、そんな話題に答えるのが嫌だったので、ずっと避けていました。
あるとき朝礼の時に、私の売上が低いことを指摘され、「あんたみたいなのでも、男とヤッたことあるの?今まで何人とヤッたの?」とニヤニヤしながら店長に聞かれたのです。
なんで私は職場の朝礼で、全員の社員の前でそのような質問に答えることを強要されるのか、本当に屈辱的な気持ちになりました。女性ばかりの会社は本当に嫌だと思いました。
[/box]
[box class=”box26″ title=”上司よりも派閥のリーダーが権力を持つ!?”]
仕事人間ばかりの家庭で育ったので、仕事は甘くないということは覚悟していました。
労働基準を律儀に守れるような時代ではないであろう、と私は理解のある方であると思っていましたがブラック企業は想像以上でした。
私から見てもおかしいと思えるほどに職員は洗脳されていました。
四六時中、派閥のいざこざはありましたが女性が多いと仕方ないことだと思っています。
そしてどこの派閥にもリーダー的存在の人間はいて側近の存在もいて、明らかな上下関係を見ました。
しかしこの上下関係が凄まじいものでした。
ミスをしてしまった女性職員が、上司に報告はしてもいいけど◯◯さんには報告しないでほしい、と言って泣き出しました。どうにかごまかしてくれと頼んでいました。
上司よりも自分の派閥のリーダーの言わないでくれと、人目も気にせず必死に頼む姿は恐ろしく感じました。その女性がおかしいわけではありませんでした。
私は雑用を行いながら、そんな場面を何回か目撃しました。
なにがそんなに怖いのかわかりませんでしたが、見ていて人間関係が怖かったです。噂ではパワハラのようなものが影であったようです。
私の配属された課も変わった課でした。
これだけの給料払うんだから毎日24時間寝ないで働いてもらいたいくらいだわ、それでも釣り合わない金額なんだからね、と派閥のリーダーであろうお局様に言われながら仕事をしていました。
さらにはボーナス使って会社の商品を買いなさい、なんてことを言ってきます。
昔からのやり方に従いなさい。と、怒られる始末だったので「この会社では常識が通用しない・・・」私は会社を辞めました。
すんなり辞められるわけもなく苦労しましたが、あのいびつな人間関係の会社を辞められて良かったです。
[/box]
[box class=”box26″ title=”見に覚えのない大量のピザが注文された”]
私が1番ひどい思いをした会社は、そこそこ名の知れた通販会社です。社員の7割近くが女性を占める、女性だらけの会社でした。そのため、女性同士の面倒な人間関係にとても悩まされました。
会社の中にはグループがあり、リーダー的な存在の社員を中心に行動をしていました。決して仕事上決められているメンバーなどではなく、それはあくまで小中学校にあるような、女子の仲良しグループといったものです。
あるグループの人と行動を共にすれば別なグループから少し冷たくされたり、邪険にされるなどの面倒なことがあるため、みなどのグループの人と行動を共にするのかは慎重になっていました。行動を共にするといっても、一緒に行うのは主にお昼ご飯を一緒に食べる、といったことです。
毎回、行きたくもないお店であってもグループの中で決まってしまえばそこでお昼を食べなければいけませんでした。そういった女性の集団行動がとても苦手だった私は、どのグループにも属しませんでした。時々、各グループのリーダーからお昼のお誘いがありましたが、私は断り続けました。
それが問題だったようで、あるグループのリーダーからちょっとした嫌がらせを受けるようになりました。
お願いした仕事をやってくれない、頼まれていないと嘘をつく、そんなことからはじまり、嫌がらせは徐々にエスカレートして行きました。ある日、宅配ピザのお店から電話があり、私の名前で注文が入ったがあまりに大量なので本当かどうか確認したい、とのことでした。
私にはまったく身に覚えがない注文だったので、そこで断ったため事なきを得たのですが、もし確認の電話がなかったら、頼んだ覚えのないピザの支払いをしなければいけないところでした。
その後、頼んだ覚えのない通販商品が届くなどの嫌がらせは続いて行きました。ピザと同じように、お寿司屋さんから確認電話がきたこともありました。無言電話などもあったため、電話がなっても出ない日々が続きました。
そのころには、会社での嫌がらせもひどくなっていたので、例のリーダーの仕業だと確信していたので、私は上司にすべてを打ち明けて会社を退職しました。
私が会社を辞めてしばらくしてから、その上司から電話がありました。私に嫌がらせをしていたのはやはり例のリーダーで、泣きながら白状したそうです。
私に謝りたいと言っていると聞きましたが、私は謝罪を断りました。もう2度と会いたくもなければ声を聞くことも嫌だったからです。
やはり女性ばかりの職場は、学生気分になってしまう人が多いのか、仕事をする、といった前提を忘れてしまう人が多いような気がします。できれば男女比が平等な会社か、男性が多い職場への就職をおすすめします。
[/box]
[box class=”box26″ title=”おじさんからセクハラの嵐”]
関東出身、30代後半の現在は主婦・女性です。
少し前になりますが、関西の大学を卒業した後に引き続きその土地にて就職しました。当時23歳でした。
地元に根差した小さな企業で、良く言えばアットホームですが悪く言えばひどく閉ざされた世界です。私は一応事務職で採用されたのですが、実際には掃除や庭仕事、お茶くみに台所仕事など、一切合財の雑用も引き受けていました。
その仕事内容については、事前によく話を聞いていましたし、またこのような小企業ではそういうこともあるんだろうな…と思っていましたので、特に異存はありませんでした。
ただ、非常に困ったのはねちねちとした人間関係です。
ほとんどが年配世代の会社だったので、私はとにかくからかいの対象になりました。「関西弁が下手だなあ」と、あからさまに言われたり、「東京の言葉で気取っちゃって」などと言われるのです。一生懸命私なりに真似をして関西弁でしゃべれば、それもまた面白がってネタにされました。
また、言葉以上に嫌だったのが、外回りで働いているおじさん世代からのセクハラ発言です。
私は色気がないだの、もっと女らしい恰好をしろだの、馬鹿馬鹿しい指摘を毎日のようにされました。それも我慢できますが、この人たちに学歴に関する中傷を言われた時にはさすがに切れかけました。
4年間一生懸命研究に励んできたものを、遊びのように言われたことが聞き捨てならなかったのです。何とかその場は抑えたものの、それ以降この閉ざされた職場に行って、のんびりとした時間の流れにひたすら耐えることが、苦痛としか感じられなくなりました。
思い切って復学を企てたのはこの後です。1年弱後に会社をやめて、フリーターとしてアルバイトかけもちをしながら学校へ通い、大学院編入へこぎつけました。
今思えばあの会社に行ったからこそ、本当に自分のなすべきことが見えたのかもしれません。その意味では感謝していますが、正直あの濁った空気に再び身を置くことは勘弁してほしい、と今でも思っています。
[/box]
[box class=”box26″ title=”仕事ができない人たちの尻拭いに疲れた”]
28歳製造業、派遣社員でデスクワークをしていた時の事です。
私のグループは私を含めて5人、内1人がリーダーとしての作業が主で、実作業はその他4人で行っていました。内訳は私以外が全員社員で、私だけが派遣社員。
各々が違う作業を担当しており、Aさんの仕事が完了すればBさんの仕事が出来るようになる、といった、リレー形式で行う作業がほとんどでした。
それなのに、それぞれの作業は各個人しか把握しておらず、知識の共有化というものが全く出来ていなかったんです。
誰か1人でも休むと、それ以降の作業は全てストップしてしまう訳ですね。
しかもこの部署の作業は非常に専門的であり、少し教わった程度や、何となくで出来てしまうものではありません。それなのに作業標準書すら無い、極めて不安定なグループでした。
それでも、皆ベテランで自分達の仕事は責任持ってしっかり出来るというのならまだ救いがあったでしょう。
ところがこいつら、揃いも揃って皆全く仕事が出来ない!
一番のベテランが一番若い25歳。しかも責任感が皆無。納期が迫ってる時に限って突発で休みます。それも何日も。ひどい時は2週間近く来ませんでした。作業は全てストップです。かろうじて大まかな作業内容を知っている私が何とか対応していました。
もう1人はおじさんですが、出戻り組でほとんど初心者。
何もわかっていなさすぎて、許可なく勝手にデータを書き換えたりします。これらは社外のデータとも繋がっている訳で、無断で変えるなど言語道断です。
最後の1人は本当にありえないぐらい仕事が出来ない。
毎日毎日注意されても、最後までまともに進捗表すら書けませんでした。別に難しい事は何もなく、着手中とか日付とか書くだけなんですが…。
そんなやつらの尻拭いをするのは何故かいつも派遣の私なのに、派遣というだけで、彼らよりも下に見られていたのが本当に許せなく、ついに会社を辞めました。
派遣でもまともに仕事をしてる人をきちんと評価して欲しいものです。
働かない社員がそんなに偉いのか?不思議でしょうがなかったですね。派遣を大事にしない会社はろくな会社じゃないと思います。
その後、別の元同僚と飲みに行った際に近況を聞いたら、私が抜けた事でひどい有様だよ、との事で、ざまーみろって感じですね。
[/box]
[box class=”box26″ title=”女子トイレすらない”]
私が働いていた会社は、田舎にある家族経営をしているこじんまりした会社でした。
小売業で私は事務員として働いていたのですが、まず毎朝の朝礼がすごかったです。
毎朝全社員が一か所に集まり、社長の話を聞き、社員が当番制で決意表明を行い、最後にラジオ体操をするのです。
このラジオ体操をするというのは、当時働いていたおじいちゃん課長の提案だったのですが、女子社員は制服でスカートだったのでとにかく動きにくく、ラジオ体操に何の意味があるのか本当に分かりませんでした。
家族経営だったのでイベントなどもちょくちょくありました。
バーベキュー大会、クリスマス会などがあるのですが、女子社員は当たり前のように仕事よりもイベントの準備を優先させられました。
また、制服だったにも関わらずロッカールームがなく、男性社員がすぐそこにいるのに、簡単な板で仕切られたところで着替えなければならなかったのも本当に嫌でした。
男性用トイレと女性用トイレが別になっておらず、職場ではいつもトイレを我慢していました。
よくこの時代に時代錯誤な男尊女卑なことを出来るなと常々思っていました。
[/box]
[box class=”box26″ title=”職場ではモラルが低い会話ばかり”]
私は社会福祉法人で生活相談員という職種で働いていましたが、新たに地域包括支援センターという事務所を設置するために、そこに配属されました。
社会福祉士という仕事で要支援判定を受けた高齢者のケアマネジメントをしたり、地域で介護状態になる高齢者を防ぐための介護予防をする仕事でした。
当時26歳だった私は社会人5年目だったのですが、大学院卒で一つ年上だけど新卒採用という男性一人、50代のおばさん二人という人員配置でした。私はそういった仕事をするのが初めてで、新卒の男性も同じだったけれど、なぜか年上ということでとても偉そうな人でした。
職場ではモラルが低い会話が多く、「○○さん(私)は、彼氏がいないけれど、休みの日に暇じゃないですか?僕の周りでも26歳になって独身の女性はいますけど、彼氏がいない場合はみんな枯れていくんですよ」「僕は金曜日は早く帰ります。彼女とのデートがあるので」など一方的に私が彼氏がいないことを馬鹿にして、自分の彼女の話をするような人でした。
同年代はその人しかいないし、50代二人のおばさんのうち、一人の責任者の女性は人間的に尊敬できない人でした。
指示がよくわからないし、自分も新しく始まった事業でいっぱいいっぱいになっているし、ねちねち言うしで、3人いる他人のうち2人が最悪という状態でした。
我慢をして我慢をして自分なりに半年頑張ってみたけれど、仕事中は現実逃避をしていましたし、事務所にいる間が苦痛で外回りをしている時間だけが癒しというような感じでした。
精神的に限界が来た私はある日泣きながら、元の施設の上司に「この職場が合わない。戻りたい」と訴えて戻ることになりました。
あんな職場があるなんてと今思い出しても、最悪です。
[/box]
「次の3月までに移動願いを出して部署を変えよう」とか「転勤の希望を出してみよう」など今の居場所が変わるようなアクションを取りましょう。そして必ず期限を授けてください。
期限が決まっていることで我慢するラインも決まり、「それで、この人間関係にもおさらばだ。」と思うことで、気持ちを消化するわけです。
ある程度規模がある会社で使う限定テクニックですが、転職するより軽く非常に有効な方法だと思っています。
このまま我慢していても、ほぼほぼ辞めることは確定しているかもしれません。そんな場合はどうせ辞めるならということで対象の人相手に、あえて毎日話かけて見てはどうでしょうか。もちろん勇気もいりますし、ストレスの負荷もかかるでしょう。
基本的に人間関係がだめな場合、話かけても関係が変わる可能性は低いですが、とりあえず喋ってみたら気持ちが解消できた、もしくは関係が改善したということも20%ぐらいはあるんじゃないかと思います。
どうせ辞めるのであれば、話かけてみる、又は怒りをそのままぶつけてバトルしてみるのも有効だと思います。
1も2も出来なそうな場合、選択肢としては「ひたすら耐える」というあまり生産性のない選択肢が残ってしまうと思います。
その場合に有効的な解決方法が「ながら転職」です。
耐えきれず爆発してしまった後に、本気で転職活動をするのではなく、まずはどんな求人があるのか?今現在の自分が転職活動したらどうなりそうなのか?を余裕があるうちに体感しておくことです。
転職エージェントに登録してみたり、足りなそうなスキルなんかを調べてみるうちに、「絶対に転職したい!」と思ったり「ちょっと踏みとどまるか・・・」と思ったり何か思い浮かぶものが出てきます。
余裕があるうちに活動しておくことで、実際に転職することになってもスムーズに活動を進められます。
くれぐれも、退職した後に転職活動することは止めましょう。
退職すると時間的余裕が生まれると思いがちですが、周囲からの早く就職しろというプレッシャーや空白期間が生まれるというストレス、収入が失われるという危機感から、ついつい転職先に妥協してしまいがちです。
結果的にロクでもない企業に入ってしまうこともあり得ますので、退職する前に転職活動を開始することが望ましいのです。
人材会社エン・ジャパンの調査※によると転職のきっかけに「人間関係」を挙げている人は全体の53%にも及ぶようです。※「エン転職」の利用者1万776人から有効回答。
人間関係をこじらせてしまうと本当にめんどくさいですよね。私も実際に人間関係が原因で仕事を辞めたことがあるのでわかります。
当時は新卒で入った会社で、仕事もわからない状態だった上に人間関係が酷く、何も対策することも出来ませんでした。ひたすら疲弊してボロボロになって辞めたのを覚えています。
アラフォーとなった今、もし新人時代の自分にアドバイスするならこの3点をアドバイスしたいです。
どれも非常に有効的な対策だと思います。
実戦するのは難しいかもしれませんが、「どうせ辞めるなら」と開きなおってみてください。
例えグダグダになったとしても、何もしないより経験が積めると思います。
さて、これまでは、辞めたい時にできる行動を挙げてきましたが、ひたすら我慢するというのも一つの選択肢です。
よく、3年は我慢しろと言われますが、実際のところはどうなのでしょうか。
3年は我慢するという体験談から実際どうすべきなのかを考えてみました。
[box class=”box26″ title=”上司に言い寄られた挙げ句・・”]
今から20年以上も前の話しになります。
新卒の事務員として会社に入社し、まだ右の左もわからなかった頃、当時の上司にあたる人に言い寄られて本当に困りました。
年齢差は20歳以上もあり、正直言って気持ち悪い以外の何物でもありません。
しかし上司なので、権力という武器を持っています。
なぜか残業しなければならなくなったり、事務所に二人っきりになるように仕向けられたりと気持ちの悪いことばかり起きます。
そのせいで何度会社を辞めたいと思ったことかわかりません。
幸い事務所に2人になった時は電話がかかってきたり、来客があったりと何とかその場を切り抜けることができました。
今思えば、本当にラッキーだったと思います。
しかし残業はどうにもなりません。
決まって20時過ぎると「送っていくよ」と誘い出します。
断り続けてもしつこいので、当時付き合っていた彼に迎えに来てもらいました。
当時は携帯電話なんて便利なものはありません。
こっそり電話をかけるため、事務所を抜け出し何とか連絡を取っていました。
そんなことが何度も繰り返し、あまりにしつこいので彼も私もいい加減にしてほしいと声を荒げてしまいました。
次の日から上司の執拗な嫌がらせが始まりました。
手始めは、連絡事項が全く私のところには入ってこなくなりました。
私は思い余り、総務部へ相談に行きました。
それで会社自体は私の話しを聞き入れてくれ、上司は次の人事で異動となりました。
私は、上司に左遷の腹いせに罵声を浴びせられました。
そんなこともあり、周囲の好奇の目に耐えることはできず、会社を辞めることにしました。
[/box]
厚生労働省によると、平成28年度に都道府県労働局(雇用環境・均等部)に寄せられた男女雇用機会均等法に関する相談のうち、「セクシュアルハラスメント」が最も多く、7,526件と全体の35.8%を占めているとのことです。
このように、セクハラは全国的に非常に大きな問題となっている状況がうかがえます。
このような状況から、雇用機会均等法という法律で防止措置を講じることが事業者に義務付けられるようになりました。ですから、基本的には会社に対してセクハラの状況をはっきりと伝え、防止策を講じるよう要求すべきです。これにより、被害者が不利になるようなことは禁じられています。
また、仮に精神を病んだ場合は、労災として認められるケースがあります。場合によっては、迷惑防止条例違反や強制わいせつ罪などで訴えることも可能となります。
こういったケースでは、証拠があるとより有利ですので(起訴しやすくなる)、メールやLINEなどがあれば残しておいた方が良いです。
私が以前勤めていた会社はとんでもない会社でした。まず13年もの間、昇給はありません。そして10年以上賞与はありません。
そして定時になると全員のタイムカードを打刻し、定時で帰社したようにしていました。だからどんなに仕事で遅くなっても残業は全くつきません。サービス残業はしたくないので早々に帰るようにしていました。
するとある日突然、ヘンな言いがかりをつけてきます。
自分はゴミ屋敷のような社長室で暮らしているのに、事務所のホコリを見つけては火事になったらどうするのかなどと言ってくるわけです。
そして社長一族の都合のよくなるように、就業規則を変えます。社員はそんな就業規則は全く知りません。
会社の業績悪化を全て社員のせいにし、経費削減という名目で嫌がらせをします。事務所の中は夏は酷暑になり、冬は極寒になります。
エアコンのスイッチが入らないように、ブレーカーのスイッチを切ってしまうわけです。もちろんそんな悪環境の事務所に自分たちはいません。
社長は会社で飲酒をし、朝出勤すると会社の流し台になぜか使いっぱなしのワイングラスが置いてあったなんてこともありました。
まさに自分に甘く、他人に厳しくを地でいくようなタイプで最悪でした。
募集時の面接では「カレンダー通りの休日数です」とのこと。
このご時世でまあまあの年収がいただけるので「これは!」と思い、即応募して、そのままあっさり採用されました。
三か月ほどは研修期間です。その間は確かにカレンダー通りの休日数でした。
ただ、先輩方を見ていると休んでいる痕跡がないのです。
その会社では拠点ごとに休日数を報告する義務があり、拠点で働いている全員の休日数を皆閲覧できるようになっていました。
その表を見ると、皆休んでいないのです。
嫌な予感がしました。
案の定、研修期間が終了した途端、拠点の責任者から「これからはお客さん扱いしないよ」と言われ、仕事があるかぎり休めないという宣告が。
研修期間中でも、14時間と拘束が多かったり、ブラックの香りがプンプンしていたのです。
ただ、私は高齢でこれ以上の転職は望めません。まわりを見ると、そういった方々ばかりです。
辞めるに辞められない人間を雇って、ギリギリまでこき使ってやろうという会社だったのです。
先輩に聞けば、「たまに休んだときも図書館で仕事の準備をしている」とのこと。
そんな話を複数の先輩から聞かされたのです。
ノルマもきつく、当然ノルマをこなせなければ休むことはできません。そのため私は不眠症に陥り、医師の診断書を持って退職することができました。
今は無事他の仕事についており、あのときの大変を思い出すとぞっとします。
派遣会社から派遣をされて働いていた会社が、ブラック企業でした。
派遣会社から、派遣先の企業を見つけ、応募をしたのですが、最初に私がその会社を応募しようと思ったきっかけは、一日7時間で週5日働け、18時が定時という内容を見たからです。
派遣会社から渡された契約書でも、応募時に見た内容と同じ事が書かれていました。
なので、安心して働きだしたのですが、仕事内容、人間関係すべてがおかしな会社でした。
まず、1日7時間だと聞いていたののに、最初の2日間は、研修期間ということで4時間の勤務にさせられました。
そして、3日目からは7時間勤務になったのですが、18時が定時だと聞いていたのに20時までが定時だと言われ、12時が勤務開始になり、20時まで会社で仕事をするというシフトを組まれるようになりました。
しかも、週5日だと聞いていたのに、前日になって、次の日の仕事量が少ないからという理由で急な休みを言われる事も2週間に一度ほどの割合でありました。
仕事内容としては、15分刻みで、作業を割り当てられていて、最初なのでその時間通りに仕事ができず、時間が延びてしまうと「なんでそんなに時間がかかるの?」と責め立てられます。
教えてもらっていもいないのに「前にも言ったけど、その方法は違うから」とまるでこちらに非があるような言われ方をします。
派遣会社に相談をし、契約条件とあまりにも違うので退職をすることになりました。
今から10年以上も前の話ですが、私は大学を出てから一般企業に就職しました。仕事にも少しは慣れてきた1年目の冬に早速事件は起こりました。
私は電車通勤で毎朝満員電車にゆられて職場に行っていました。
そして、その日は家賃を振り込まなければならず鞄の中に家賃のお金も封筒に入れて持っていました。
いつものように電車を降りて定期を出そうとすると、定期がないのです。いくら鞄を探しても定期が見当たらずそして、家賃を入れていた封筒までもなくなっていました。
やられた・・・と思いました。満員電車の中ですりにあってしまったのです。
その日は警察に届け出をし、会社に報告し「もう今日は帰っていいよ。」と言ってもらい、とぼとぼ家に帰りました。
数日は落ち込みましたが、取られた物は返ってこないし、しょうがないとあきらめて、また普段通りの生活を送っていました。
しかし、また事件が起きたのです。年末も押し迫った12月の中ごろ、今度は家に帰ると家の中が荒らされていました。窓を見ると鍵の所のガラスが割られそこから鍵を開けて侵入された形跡がありました。
怖くなってすぐ警察に通報し、来てもらいました。こんな事が2回も続き一人で生活するのが怖くなってしまい、実家に戻る決心をしました。
仕事は楽しく働けていたので、残念でしたが、事情を伝え承諾してもらいました。
それからは、少ないながら、雇用保険をもらい、実家に居ながら転職活動を行いました。新卒ではないので、何か資格をと思い、転職しようと決めてから、医療事務の講座に通っていました。そして、地元の病院の事務として転職が決まりました。
1つの会社で長く働くのは理想ですが、いろんな状況で転職を迫られる事もあると思います。でも、転職をすると決めたら自分が何をしたいかという目的みたいなものを持って転職した方がいいかなと思います。
会社や仕事が合わない人は「もう、このまま勢いで辞めてしまいたい!」と思っていますよね。
そこで、仕事を辞めたことがある先輩として、みなさんにアドバイスをするとしたら、「次の転職のことを考えてから、計画的に仕事を辞めるようにしよう!」という点です。
私は新卒で、大手企業に就職することができたのですが、どうしても仕事が慣れず、上司や同僚とのコミュニケーションもとれずに、不満ばかりがたまってしまいました。
そして、就職してたったの2ヶ月で仕事を辞めてしまったのです。
しかし、その後、かなり転職活動で苦労することになりました。3カ月以上無職期間ができてしまいました。
私は感情的になり勢いだけで退職してしまったので、転職することを考えていなかったのです。
大体、入ってすぐの会社を辞めたいと思う人は勢いで辞めてしまうケースが多いと思います。
しかし、私のような体験をすることになるかもしれないので注意してください。
私は2ヶ月分の給料しかもらっていなかったので、貯金もゼロに近く、一人暮らしも断念し、実家に戻って転職活動をするという情けないことになってしまったのです。
父親もガッカリしていました。
このようにまったく無計画で、しかも新卒で短期間で仕事を辞めてしまうことで、次の転職も難しくなってしまうのです。
私は社会人の先輩として、後輩たちに自分の転職で苦労した話をアドバイスすることで、すぐに仕事を辞めようとしている後輩をとめることができればいいと思っています。
転職活動で苦労するのは目に見えていることだからです。
すぐに仕事を辞めた社員を採用してくれる企業は少ないですからね。
もちろん就職・転職する際にミスマッチを防いで、長く働けることが一番です。
だけど会社の中身や人間関係まではチェックすることができないので、働いてみて不満に感じることは多々あると思います。
それでも、最低でも就職して半年から1年くらいは仕事を続けないと、次の転職もうまくいきません。
どうしても駄目そうだったら、たとえ就業して2ヵ月目だとしても、まずは退職願いを出す前に転職活動をはじめましょう。
職務経歴書を作って、面接を1社でも2社で受けてみましょう。
仕事をしながら転職活動をするのは、会社に入ったばかりのみなさんにとってはキツイかもしれませんが、要領よくやるのであればそれが1番です。
これが一応、社会人としての先輩である私から、後輩にアドバイスできるすべてのことです。
私は27歳のOLです。今までに転職を2回した経験があります。
過去に2回退職した時は、どちらも2年と続かずに転職を決めてしまいました。どちらも、人間関係に問題がありました。運悪く、派閥とかがある面倒くさい会社で、そういった人間関係の煩わしさに耐えられなくなり退職してしまったのです。
しかし、今になって思えば、「私は甘かった・・・」と反省しています。なぜなら、現在、転職3回目の会社にいますが、少なからず、どこだって人間関係の問題なんてあるからです。会社のせいにして退職したかっただけのような気がします。
2回の転職ですっかりと「逃げ癖」のようなものが染み付いてしまった気がします。だから、今の会社だって、ちょっとした問題やミスで「辞めてしまおうか・・・?」なんて何度も考えてしまいました。
過去2回の反省を踏まえて、今回は、どれだけ嫌な事があっても3年は在職してから考えたと思っています。
現時点で、2年と8ヶ月が経過しているので、少なくとも、あと4ヶ月は歯を食いしばってでも、この会社にしがみ付きたいと思っています。しかしながら、今の会社も嫌である事に変わりはありません。
そこで、私が考えたのは、在職中のまま、こっそりと転職活動を始めてしまうという方法です。もちろん、今の会社に迷惑がかからない程度に活動をゆっくりと1歩1歩進めていきたいと思っています。
新卒で就職した会社で少し理不尽なことがありあっさりと退職をしてしまいました。
まだ、若かったこともあり社会人としての考えが甘かったこともあると思います。
何も考えなしで一年も働かないうちに辞めてしまいました。
ハローワークで仕事を探せばまだ若いし、どこか仕事くらいあるだろうと思っていました。
しかし、1年以内で仕事を辞めた私には職務経歴もないためなかなか面接にすら進むことができませんでした。
運良く面接まで進んだとしても前職が1年以内に辞めていることを絶対に突かれました。
そして、面接の時点で「うちは長く働いてもらえる人を採用したいので。」と言われて断られることもありました。
あまりの衝撃に私はどうしていいかわからなくなりました。1年以内の退職では本当に職務経歴も書くことが出来ませんでした。
その時自分の社会人としての甘さを痛感しましたが、もうどうすることもできません。
前職ではほとんど実務としては扱えないため、前職と同じ仕事の面接を受けても全く手応えがありません。
結局、2年間派遣で働き経験を積んでから正社員になりました。
もっと自分自身が我慢強く、社会人としての自覚が必要だと思いました。長ければいいというわけではありませんが、最低2年から3年は新卒で就職したところにはいるべきだと思いました
僕が勤めてた所は広告代理店という業態ですが実際はかなり違った仕事をさせられる拘束時間がやたらと長い監獄みたいな所でした。
仲間内では「広告代理店=華やか」というイメージだったので内定が決まった時はコレで勝ち組になれるかもと優越感に浸ってましたね。
その幻想が打ち砕かれるのに時間はかからなかったです。初日は優しく仕事を教えてくれてた先輩は二日目からは口調が荒々しくなり、その後は恐怖しか感じられませんでした。
勤務時間は朝の9時から夜の6時までと聞いてたのに実際は夜の9時までの12時間労働。
土日も月に1,2回で殆ど休みがなく、拘束時間が長いため、次第に友達とは疎遠に…。
何故すぐに辞めなかったというと1カ月も経たないうちに退職したら、仕事を探す時、スグに辞めるというイメージがついてしまうのが怖かったからです。
最低でも1年働いて転職しようと考えてたのですが、あまりの過酷さに心を病んでしまい、結局4カ月目で辞める事に。
不安神経症という、うつ病の一歩手前の症状と診断されましたが、仕事を辞め、ストレスが無くなったことで治るのは早かったです。
担当してくれた医師が言ってたのですが、1年働こうと思ってたと伝えたら「我慢してたら完全にうつになってたよ」と告げられたので、辛抱せず早く決断して良かったと思いました。
商業施設でのクレジットカード会員の勧誘のお仕事していました。
このお仕事は、とにかく「数字至上主義」みたいなところがあります。一日に何件獲得するかが重要。求人広告にはノルマはありませんと書いてありながら、数字については口酸っぱく言われます。
入会の人数だけではなく、ネットのサービスや保険サービスなども獲得しなければなりません。人からは「大変なお仕事だよね」とよく同情されていました。
勧めても断る人が多かったです。何十人と勧めてようやく一人獲得できればいい方です。全く獲得できない日もあります。自分の能力のなさも起因していると思います。
獲得できる人はたくさん獲得できます。勧め方が上手く、口も上手いです。
あと誰が何件獲得したのか、翌日、朝礼時に配られるスケジュール表に書かれていたのは、プレッシャーであり、ストレスでした。何のためのカードの獲得なのか分からなくなってしまいました。
なかなかカード会員を獲得できない自分、向いていないんだなって思いながら店頭に立っていました。
何度となく「辞めたい」と思ったり、転職も考えました。これよりもっと楽な仕事ないかな?って思いながら店頭に立っていたことも多かったです。
でも、他の仕事をと思っても、いいと思える仕事がないのが現実です。。だから仕方なく続けるのスパイラルです。他の仕事よりは時給もいいし、休み希望も聞いてくれる、こんなにわがままの聞く職場はないと思いながら、だましだまし続いていました。
もうちょっと頑張ってみようと思った矢先、商業施設の閉鎖が決まってしまいました。
新規会員は募集しないとのことで、早々と業務停止、そして失業。相手に言い寄られながらも「何度も辞めたい、辞めたい」と思い続けた結果、いつの間にか相手に振られてしまったようなものです。自分の意志ではない失業、気持ち的にはスッキリしないものです。
自分は40代、若い頃と違って仕事探しも苦労しそうです。自分に合う仕事はあるのか、新しい仕事は見つかるのか不安です。
よく石の上にも3年ということでまずは3年間我慢することで、いろいろ見えてくる事があると言われていますが、嫌な仕事を3年我慢する必要が本当にあるのでしょうか。
あまりにも短い期間で仕事を転々としているのはまずいと思いますが、なにがなんでも3年は働きなさい。というのは今の時代、そこまでの意味がないと思います。
定年まで働ける時代であれば、耐える対価としてのメリットがあったと思いますが、そういった終身雇用はもはや崩れていますので、逆にどうしても無理な職場の場合は1カ月とたたず早く辞めてしまった方が正解だと思います。
辞めたい!と思った時に、まず行動してほしいことは冷静になって周りを見渡してみることです。
具体的に何をするのかというと、就職活動ですね。ただ就職活動といっても本格的にするのではなく、触りだけ。
つまり転職サイトなどで求人を検索してみたり、派遣会社の求人をみたり、もしくは実際に書類を送ってみる。など。そういった行動を起こすことで、今どんな仕事があって、自分がどのぐらいのポジションにいるのかが客観的に見えてくるような気がします。
そこで「やっぱり、もうしばらく仕事を続けよう」と思うかもしれませんし「転職したほうがいいかな」と気づくかもしれません。
まずは行動することで見えてくることがあると思います。
私は以前採用をやっていましたので、採用担当者の視点でみると、転職経験の多い人はあまり高く評価できるものではありません。
どうせまたすぐに止めるんだろうという目で見られてしまうのです。
有効求人倍率が低い、つまり競争が厳しい事務職のような仕事の場合、せっかく高いスキルを持っていたとしても、低く評価されてしまうこともあり得るのです。
ですから、3年とは言わないまでも簡単に退職するようなことは避けたほうが無難です。
こちらの体験談が転職経験が多い人が低く評価されてしまう現状を端的に表しています。
転職をしたことに後悔はしていませんが、20代なのに2回も転職をしている・・・というマイナス評価をされてしまったことが何回かあり、そこはネガティブに捕らえています。
私的にも、逃げるようにして人間関係に問題をつくり、会社を辞めてしまったので負い目になっているのです。
でも、1つ言えることは、無理して続けないで退職を決意してよかった!ということです。
無理してあのまま人間関係のジレンマに悩まされて在職していたら、もしかしたら精神的におかしくなっていたかもしれません。
どうしても我慢できないなら、逃げるのもアリだと思うという考え方です。
もう1つに損だなと感じた点は、採用担当者から「どうせ20代だし、たいした能力もない・・・」と決め付けられてしまうことです。
これには私も憤慨してしまいました!
なぜなら、私は、20代で人生経験も浅いし人間関係も苦手ですが、仕事の能力だけには自信を持っていたからです。
面接時に、そんなことを言ってくる採用担当者がいる会社なんて、こっちからお断り!と突っぱねてしまいました。
でも、それで正解だったと思います。会社は人が作るものです。
会社の看板である人事の担当者がそんなことをいう人間性では、その会社に入っても長く続かないと思うからです
経験上、ブラック企業のような極端な例は別として、人は多かれ好かなかれ会社に不満があるものです。
これが爆発すると、辞めるという選択肢になる訳ですが、辞めるにしても他にやりたい事が少しでもないと、不満がある度に辞めてしまうということになりかねません。
そうすると、辞めて後悔するということもあり得るのです。以下に、辞めて後悔した人の体験談を載せています。
現在40代の主婦です。
私は高校卒業後に進学ではなくて就職の道を選びました。18歳で一般の企業にすんなり就職して、お給料やボーナスもそこそこ頂いていました。
あの当時はそんな時代だったと思います。
一般事務として採用されて、OL生活がスタートしたわけなのですが、とにかく全然仕事がなかったのです。
一日の仕事と言えば、ほんの少しのデータ入力に、来客時のお茶出し・・・。
忙しいという状況もとても大変なことですが、暇を持て余すということも結構きつかったです。
あの頃は一つの事業所に事務員が1名など、仕事があるないにかかわらず、数合わせみたいなところがあったのかもしれません。
今では考えられないですけどね・・。
そして、上司に相談をして他の事業所に異動させて頂いたのですが、そこもまた仕事なし。
周りの友達は、会社である程度の仕事を任されて、一生懸命働いているのに、自分だけ取り残されていく感覚に不安を覚えずにはいられませんでした。
そして、三年間務めた会社を退社。
今思えば、特に何もしなくてもそれなりのお給料を頂けるなんて、こんな夢のようなお話しはないですよね。若かったのだと思います。
現在は主婦の方々も大変なパートなどをして生活費を稼いでいます。時代によって景気もさまざまですが、もしあの頃に戻れるなら、会社を辞めずに何かを勉強する時間を設けたかもしれません!
勢い勝負の営業部から、専門的な知識を必要とする企画部に異動になりました。
頑張って、仕事を早く覚えるように、そして企画部の中では新入りでもキャリア的には中堅だったので、頭でっかちになりがちな企画部の仕事を営業部の仕事を生かして現場感覚を入れた仕事にしていこうと、まさに孤軍奮闘しました。
でも、なかなかそれがわかってもらえず、一緒に頑張ってくれるメンバーもなかなか現れず(後輩達は一緒に頑張ると言ってくれましたが、お局的な先輩たちがなかなか動かなかったです)、かなりストレスを感じるようになってきました。
それがある日、何かが壊れたようになり、まずは出社しても会社のビルに入れなくなり、仕事場についても意味もなく涙が出てくるようになりました。今から思えば、軽いうつ状態になったのだと思います。
それがかなりしんどくなってきたときに、親に相談したら、もう会社を辞めなさい、そのままいたらどうにかなってしまう、と言われ、人事に言って退職しました。
でも、そのあと数年たって、ほかのことでいろいろ調べていたら、休業制度があるということを知りました。
それは、1年半の間は、労働保険があるので、9割の収入を保証してもらって会社を休業できる、という制度です。これがあったらやめる必要はなかった!
でも人事部も誰も、そんなことを教えてくれなかったのです。私が無知だったのが基本的にはいけませんが、それでもそれを知っていて、その制度を使っていたら、会社を辞めなくても済んだと思います。
辞めてしまって、それまで積み上げたキャリアをゼロにしてしまったことが、今でも悔やまれます。
上記の体験談のように、辞めてしまってから休職制度について知り後悔することにならないよう事前に調べておきましょう。
休職制度とは法律で決められているわけではなく、会社ごとの「就業規則」などで決めれているものになります。
なぜかというと、「休職」というのは”労働者の都合”で休むということだからです。似たような言葉に「休業」がありますが、こちらは”会社の都合”で休むことです。
そのため必ずしも休職制度があるわけではないということになります。制度があるかどうかをまず自分で調べなくてはいけません。
会社によって異なると思われますが、休職になるケースとしては、一般的にメンタルヘルス(うつ病)や、大きな病気による病気休職、事故などによる事故欠勤休職が多いようです。
「独立行政法人労働政策研究・研修機構」のレポートによると、休職する理由や期間としていくつかの事例が紹介されています。
病気休職が69.1%となり、事故欠勤休職が37.4%となり、自己啓発休職が12.5%となっていて大きな割合を占めています。自己啓発休職とは「留学・能力開発」のための休職とされていて、国家公務員の方が多く取っているようです。
一般的な企業での休職は、ほぼ「病気」か「事故」のための休職となると思われますが、自己啓発休職を認める会社もあります。
気になる休職期間の上限とお給料についてですが、病気休職の場合は「1年未満と」しているところが大体50%となっています。1年以上としているところが40%もあり大手企業などはかなり期間が長い傾向にあるようです。
また休職中のお給料の支払いですが、これはまったく期待できないと思って下さい。上記サイトのデータでは全額負担が7.2%のみとなっています。半数以上は「なし」「一部だけ」ということですから、休職中はお給料がもらえないぐらいに思っていたほうが無難です。
ただし、業務外の怪我や病気で休職する場合は、傷病手金が支給されます。勿論、雇用保険に加入していることが前提となりますが、これは会社に義務付けられていますので、余程とんでもない会社でない限り大丈夫だと思います。
傷病手金の金額は給与の3分の2で、期間は1ヶ月若しくは半年です。
(なお、業務上の怪我や病気は会社による休業補償か、労災保険が受けられます)
休職制度はそれぞれ会社の就業規定などで確認できますので、人事の人などにお願いをして規定集をもらい自分で確認してみましょう。会社にとっては休職制度を使われることは嬉しくないので、自分から進んで手配しないと何も進まないと思います。
「メンタルヘルス、私傷病などの治療と職業生活の両立支援に関する調査」では、さらに詳細のデータも確認できます。
現在の休職制度の利用状況としては、実はメンタルヘルス(うつ病)が1番大きな理由となっています。ついで糖尿病などの生活習慣病や、ガンとなっています。
そして、このデータでは仕事の継続率も確認できますがメンタルヘルスの就業率は73%となっていて、約4人に1人の人は退職&転職しています。仕事を辞める割合が他の理由より大きくなっているのも特徴です。
Googleの検索補完機能をサジェスト機能といいますが、これを調べてみることで「休職制度」でどんなことを調べられているのかの傾向がわかります。
ざっと調べてみたところ、「休職」に加えて「理由」「給料」「期間」「手当て」ということで、どんな条件で休職できるのかについて、調べている人が多いです。
また「転職」「退職」というキーワードも多く検索されていて、体調不良などで休職を考えつつ(もしくは休職しながら)、もう仕事を続けるのは難しいということで、転職を考えいてる人が多いこともわかります。
以上で休職についてのまとめとしますが、あまりなじみのない制度なので知らない人が殆どだと思います。体調不良などで仕事を辞めたくないのに、辞めることを考えるのであれば、自分の会社に休職制度があるのかないのか調べてみてはいかがでしょうか。
私は看護師として、病院で働いていました。
その時、その病院が救急だったこともあって、とても忙しかったのです。そのため、毎日クタクタになる日々を過ごすことになりました。
その事はまだ我慢をすることができたのですが、私としては、老人看護をしたいと思っていたので、その救急で働くことに、何か違うと言う気持ちを持ったまま働いていたのです。
そんな時、ほかの病院で働いている人と話をしている時、自分だけが生き生きとしていないということも気づいたのです。すると、なんだか情けないと言う気持ちになり、そのまま働く事はいけないのではと思うようになったのです。
そしてその後、やっぱり違うと言う思いがなくなる事はなく、辞職をすることになりました。そして転職をすることにしたのです。
その転職をしようと思ったところは、介護施設です。
そこだったら、私の看護をしたいと思っている老人がたくさんいるからです。その職場が友人が働いているところが良いと聞いていたので、そこに転職をすることにしました。
お給料は以前のところと比べると、半分以下になりました。しかし、やりがいを感じる事ができているので、そのお給料に関することよりも、そのやりがいを感じるほうがずっと良いと思うようになっています。
2年ほど営業の仕事をしていました。
メーカーの営業だったのですが、いわゆるルート営業ではなく新規に顧客を獲得し売り上げを上げなければならないため、毎月シビアに結果が求められました。
ただ、結果が出なかったからと言って、会社や上司から叱責されるなどということはなく、先輩や上司が親身に相談に乗ってくれるような環境でした。
頼りになり尊敬できる人たちに囲まれやりがいもあったのですが、とにかく結果を出さなければならないという状況には大きなストレスを感じ、続けていくことに迷いを感じ始めてから半年後に退職しました。
辞めた後、営業職の厳しさを知っていることを強みにしてサポートする側の営業事務の仕事に就こうと転職活動を始めました。
それまでの仕事で培ったコミュニケーション能力が活きたのか、活動はスムーズだったように思います。
選考を受けたのは2社だったのですが、1社目の最終面接を控えた段階で2社目から内定をもらった為、そこで転職活動は終了となりました。(1社目は辞退)
入社したのは小さな商社だったのですが、よく言えばアットホーム、悪く言えば緩い雰囲気という印象でした。
事務としいて営業担当のサポート業務を始めたのですが、以前の会社で営業職とは厳しくストイックなもの、という考えがありましたので、その緩い雰囲気に最初は違和感を感じたものです。
ただ、時間が経つにつれて営業と言っても様々な形があると分かりましたし、また、サポートする立場として営業担当や取引先に頼られる楽しさも知りました。
縁の下の力持ちといった感じで、営業事務という仕事は自分に合っていたと思います。
転職して正解でした。
IT系の大手企業に入社したものの、4年で転職しました。
辞めようと決意したのは3年目の頃で、理由は単に“会社と合わない”だけでした。
比較的新しい会社でしたが、福利厚生に不満があったわけではありません。また、仕事内容にも不満はありませんでした。ただ、社風に馴染めなかったのです。
日常業務では仕事の優先順位に疑問を抱いていました。また他者との関わり合いでも、成り金がふんぞり返って仕事をしているようだと感じていました。けれども職場環境は悪くはないし、人間関係も円滑だったので「絶対に辞めてやる!」と思って辞めたわけではありません。
なんとなく、このままこの会社にいても成長出来なさそうだし、他の世界も見てみたかったいなと思って辞めました。
退職に向けて仕事をしながら就活を開始しました。何をやるとも決めていなかったのですが、福祉系の仕事をやってみようと思い、面接へ。運良く採用が決まったので、務めていた会社へ退職を伝えました。
いざ退職の話を上司にする場で、流石に本音は話せません。素直に「他の業界も知ってみたい」と伝え、有給を消化しつつ円滑に退職することができました。
翌月から福祉関係の新しい職場へ。
人を大事にする職場で、新しい同僚との関係もとても良好です。
仕事内容にも不満はありませんが、日々のストレスは一般企業の時とは別の方向へと変わりました。
今抱えているストレスは残業時間や給与面、有給の取得についてです。
自分の仕事がとても好きになれたので、その点は良かったと思います。日々も充実していますし、やりたいことを自由にやれている現状は心地が良いです。
転職したばかりの頃は、自分の転職を成功か失敗かと考えることがありました。
しかしこの業種でこれからも仕事をしていきたいと思えたので、「他の業界を見てみたい」という理由で退職したことは長い目で見れば成功なのかなと思っています。
接客業で新卒採用された私。
大学卒業前にも接客のアルバイトを多数こなしていたので、業務自体に不安はありませんでした。
土日に休みがなく、平日不定休という条件も特に不満はなく、ある程度の期待を持って入社したのをよく覚えています。
しかし、現状は思ったよりも悲惨でした。
1日12時間以上の勤務は当たり前。
休憩も1時間あるかないかで、ずっと立ちっぱなしの状態は、体力に然程自信が無かった私にとって、とても苦痛でした。
それでもお客様から「ありがとう」と言われれば嬉しいもので。
その言葉があったから、入社から数年は頑張れたんだと思います。
けれど、それも長くは続きません。
結局、長時間の立ち仕事が原因で足を悪くしてしまい、医師から退職を勧められました。
その時やっと自分の中でも踏ん切りがついて、上司に報告し退職の道を選びました。
転職活動自体はものの2週間で終了。
次の仕事として私が選んだのは、座ったままできる事務の仕事でした。
給料は前職に比べマイナス数万円という条件でしたが、自分の健康とは引き換えにできません。
加えて、残業も少なく社内の人間関係も良好。
今までは当然のように勤務中だった夜7時~12時の間も、家事が終われば自分の時間として使うことができます。
次第に心の余裕も生まれ、壊した体のケアも順調に進むようになりました。
お金の余裕は少しなくなりましたが、今の職場で事務職としての経験を積んでからステップアップ、ということも不可能ではありません。
転職は私にとって、健康と心の余裕を与えてくれました。
まだまだ人生は長い。
自分の『これから』のために決断した私を、今は少しだけ褒めてもいいかな、と思っています。
高校を卒業してからいろいろな業種のアルバイトをしましたが、その後エステシャンとして就職しました。
もともと美容や健康に興味があり、自分がきれいになりたいという気持ちが強くあったのでエステシャンの仕事を選びました。
最初は美容に関するさまざまな知識が習得でき、とても楽しかったのですが、やはりエステシャンも収入は自分の営業成績次第ということがわかりました。
一所懸命お客様に施術していても、来るのは一回限りで続けてくるお客さまが来ないと成績が上がりません。エステシャンとしての勉強も必死にし、先輩の仕事ぶりを真似して頑張ったのですが、肉体的にしんどいわりにはなかなか思うように収入につながらず、転職することに決めました。
次に就職したのはスポーツジムのインストラクターです。
以前から運動が好きで毎日のジョギングと腹筋、背筋、ストレッチはかかさない生活を送っており、自分に合っているのではないかと思い決意しました。
スポーツジムでの主な仕事はお客様に器械の正しい使用方法を教えたり、怪我をしない運動の仕方、体調の整え方など多岐にわたっています。
館内の清掃業務やパソコンでの業務のその中に含まれています。もともと人と接することが好きだったうえでに、自分の趣味を仕事にすることができ、一石二鳥で今では転職してよかったと思っています。
大学を卒業してから約10年間某日用品メーカーに勤務していました。担当はセールス部で、出張で日本全国を飛び回る日々。
新卒のうちからどんどん仕事を任せてもらえる社風&それなりに十分だと思えるお給料で、この会社に就職して良かったと思う日々でした。
一方、頑張っている人も、そんなに頑張っていない人も同じだけの処遇であることについては不満もありましたが、逆に言うと私も手を抜けるところは抜いてしまおう~なんて、甘い考えもありつつ、仕事を続けていました。
そんな仕事ですが、突然転職を決意。その理由は・・・旦那の浮気!
実は入社3年目に社内結婚をしていたのですが、その旦那が新入社員の女の子と浮気→本気へ。あろうことか私の出張中に自宅に泊まらせていたことが発覚したのです。
そんなに人数の多くない会社で、私たちが夫婦であることは周知の事実でしたし、相手の女の子は私も可愛がっていた後輩。
どうして浮気された私が辞めないといけないのかとは思いましたが、社内のうわさになるのなんてごめんだ!と思ってさっさと退社。
その後社内で大きなうわさとなり、元旦那と浮気相手は干されてしまったようですが・・・辞めてしまった私には関係のない話。
有給がたくさんあったので約2ヶ月間は有給消化しつつ、転職活動をしていました。10社くらい受けたところで、もともと得意だった英語力を生かして、外資系のマーケティング会社に内定。
15人くらいの小さなオフィスなので、仕事は任せてもらえるし、自分でイチから考え、行動に移すスタイルが性に合っているみたいでやりがいがあるし居心地が良い!お給料は少し下がってしまったけど、外資系らしくワークライフバランスはばっちりで、転職してよかった!
理由はともかく・・・私の転職は成功でした。
就職浪人をすることなく、大学を卒業してストレートになかなか良いとされるような企業に就職することができました。
ちなみに事務職ではなく、総合職です。ですから、そこの会社を退職するのは、ものすごく勇気が要りましたね。
けれども3ヶ月におよび新入社員研修およびその後の6ヶ月ほどの勤務の間には、すでに私の頭のなかには「転職」の2文字が浮かんでいたのです。
確かにものすごく良い会社です。最近では「ブラック企業」なる言葉があるように、労働基準法すら無視したような会社があるなかで、以前勤めていた会社はホワイト企業だったとは言えるでしょう。
本当に今でも会社自体は支持しているぐらいに良い会社だと思っています。人間関係も良かったですし。
ですから今でも、以前勤めていた会社の人たちとは交流があるわけですし。
けれども、やりたいことが違ったのです。確かにいい会社ではあったのですが、私にはキャパシティーオーバーだったといいますか、大学での専攻分野とも全く異なる分野に、人員不足を理由にいきなり飛ばされ、そして苦労し過ぎてしまったことによって、それで「転職」を決めたのですよね。
まあ「苦労し過ぎて…」とは私のオツムがついていけなくて苦労したのですが。
しかし部署の人たちが良い人過ぎて、それに今どき珍しいとも言えるぐらいのホワイト企業でしたので、親にも「アホか!」と言われるぐらいのことはわかっていました(転職後の事後報告にて実際に言われました)。
けれども学生時代からの夢を優先させてしまって転職をしたのです。
ちなみに、部署の人に応援されての退職であり、在職中に総務にはもちろん内緒ですが転職活動をおこなっていました。
そのような背景もあり、今でも以前の会社の部署の人たちは大好きですね。ちなみに今でも転職後の仕事をし続けています。
私は2度目の転職をする際には「今まで身に付けたスキルが役立つ仕事がしたい」と思っていました。在職中に求人情報をチェックしていたところ、現在勤めている会社と同じ業種の会社の求人を見つけたのです。
条件も今の会社とほぼ同じで、仕事をしていて良く耳にした会社名だったことから気軽に応募してみたのです。するとすぐに連絡が来て面接してくれることになりました。
もしもその会社に転職できれば今までの経験や知識がそのまま生かせるので、かなり期待する気持ちがあったのです。
面接をした人は募集先の部署の部長でしたが、私が勤務している会社名だけではなく、所属している部署の部長の名前を知っていたのです。
私はその時には気にもしなかったのですが、翌日勤めていた会社の部長が私が同業他社に面接を受けたことを既に知っていて、「辞めるの?」と訊いてきたのです。私はしまったと思いましたが、バレてしまっては仕方ありません。
面接には落ち、その後居づらくなって転職先が決まる前に退職せざる負えなくなりました。在職中に同業他社に転職をしようと思ったら、情報が洩れてしまうことがあるので注意が必要です。
関連会社ではなくても、どの様な人物であるのか、何か大きな問題はないのかということで前の会社に連絡をする企業も多くあります。
結局私は全く違う業種の会社に転職しました。
一から仕事を覚えなくてはならないのは大変でしがたが新卒の時程ではなく、社会人としての経験があるだけでかなり違うものです。どの関連会社の人とも人間関係も全く繋がらないので気楽でした
エステティシャンから化粧品の販売員に転職しました。
痩身のエステで働いていましたが、技術よりも売り上げのノルマ重視で、お客様の気持ちやダイエットそのものは二の次でした。
お客様に申し訳ない気持ちで一杯になり辛くなったので、やりがいのある仕事がしたくて転職を希望しました。
転職には求人サイト「とらばーゆ」を使いました。女性専用のサイトなので美容業界の求人が多く、色々比較ができてよかったです。
他にアパレル関連の求人も多いなという印象を受けました。また、何度も同じ求人を見かけると「ここはすぐに人がやめてしまうのかな?」という判断基準にもなりました。
面接では既婚で子供がいなかったので「ご主人はフルタイムで働くことに賛成されていますか?」「お子さんの予定はありますか?その場合お仕事を続けていただけますか?」といった質問が多かったです。主人は応援してくれていること、子供が生まれても復帰したいという意思を伝えました。
化粧品の販売は売り上げのノルマもありますが、お客様にスキンケアやメイクの提案がきちんとできますし、その提案自体も評価してもらえるのでやりがいを感じています。
20代のうちに思い切って転職してよかったと思います。
私が新卒で入社時した会社は、一人一人に異なる業務内容を任せるスタイルをとっていて、その中で私は仕入業務を担当していました。
二年半後に退職、念願だった半年の留学を終え、再就職活動を始めました。
ある会社の面接で、予告もなく突然に簿記の試験が始まりました。
何の準備もしていない私に電卓は貸して下さいましたが、簿記の資格を取得したのは随分前です。しかも、前の会社では仕入関係の仕事しかしていなかったので、試験が出来る訳もなく、始まって五分後には、頭を下げてその会社を後にしました。
そんな状態で受かるもないので、次の面接先を探してたところその会社か採用の知らせが届きました。
何かの間違いではないか、と不安に感じつつも、自分にとってとても条件の良い会社だったので、入社させて頂きました。
少し会社に慣れた頃、電卓を貸して下さった試験担当の方に何故私が受かったのか聞いてみたところ、『資格を取ったのが昔だから出来ない』、と正直に話した所が気に入ったと言われました。
『経理の仕事は、正直さも求められるから』とも、言われました。
我ながら、採用の理由には驚きましたが、自分の意図しないところで何が起こるか分からないなぁ、思いました。
今は、もうワンランク上の簿記の資格と社会保険労務士の資格を取得し一生簿記の仕事をすると心に決め、あらゆる分野の業務に携わっても大丈夫なように、自分なりに精進しているところです。
新卒として、不動産会社に入社していましたが、当時の私はお金に目が眩み、投資不動産のオーナー探しの営業を行っていました。
これがとにかく、きつかったのです。
まず、朝は上司を電話で起こさないといけませんでした。
すぐに起きるのであれば、問題ないのですが30分に渡って電話を鳴らし続けていて、仕事前から気持ち的に疲れてしまっていました。
さらには、駅前での名刺交換をし、その後その名刺交換をしてくれた方への猛烈な営業電話。
また、契約がないと休みは月に2日。朝から終電まで毎日、会社にいました。
当時の甘々な私は、もう限界だと感じ転職を決意し、営業以外で探していました。
そこで、転職エージェントを利用し、きちんと自分の時間も確保できるという印象の事務を中心に探し、健康食品関係の会社に内定もいただきました。その他にも応募中の企業があったのですが、内定をいただけた喜びで他は、その後の面接などは辞退しますとお伝えしました。
ところが、担当の転職エージェントは、「いや、一つだけ化粧品メーカーは、あなたにとっても、悪い話ではないと思うのでその後の二次面接に行った方がいいです。それから決められてはいかがですか?」と、伝えてきました。
正直、内定をもらった気持ちで安心していたのもあり、気は乗らなかったのですが、お世話になった転職エージェントの言葉を聞いてみるのも間違っていないかもと思い、二次面接を急遽入れていただきました。
その時は、元々は二次面接の予定は2週間後でしたが、その次の日に急遽入れてもらい、早めに決めていただきたいとお願いしたのです。
自分自身、それほど猶予がなく少しでも早めに新しいところで仕事をしたかった為です。
そこは、面接をした日に内定をいただき、総合的に考え、社風や働いている方の年齢層なども考慮して結局その化粧品会社へ入社を決めました。
給料は下がりましたが、今でもその会社で働いており、満足しております。
後から聞いた話だと、私のように早く決めないと次のところへ行きますと強気になってきた人は初めてだと言われました。
転職も妥協はしないこと、それから自分を押し込めないことで、タイミングも生まれ、自分に合った会社が必ずみつかると感じた経験です。
・・・女性の転職に強いエージェントもあります。
私の前職は薬局助手です。事務が主な仕事でパソコンに向かう仕事でした。
辞める理由になったのは、上司から「前の人はもっと仕事量をこなしていた。仕事が半分も出来ていませんよ。」と言われて、退職を勧められたからです。
私は発達障害者です。集中すると周りが見えなくなったり、同時に2つのことができない障害です。
成人してから障害が分かり、一般企業でも働けると自分で思っていたのですが、「どうしてあなたはこんな簡単なことも出来ないの?」と毎日上司から言われるようになり、自分は普通に仕事をしているつもりだけど出来ていなかったんだと気付いたので、障害者枠で就職することを決めました。
転職活動はすんなり成功しました。1社目に面接を受けた会社で働くことになりました。
就職先は決まったけど、実際に仕事をするには受給者証が必要でした。この受給者証が出来上がるのに1か月かかったので1か月間は仕事が出来ませんでした。
入社した会社の主な仕事はシイタケの収穫で、とても働きやすい環境でした。
指導員も優しい人ばかりで、難しいことは何度も説明をしてくれました。最初は付きっきりで指導されていましたが、今ではもう仕事は覚えてバッチリなので、頼られる存在になりました。
障害者枠に就職して良いことがたくさんありました。自分を理解してくれることは嬉しいことです。障害者ばかり集まっている会社なので、コミュニケーションが難しい同僚もいますが、楽しく仕事をしています。シイタケの栽培の過程を知ることが出来て勉強になりました。
私が夜の世界に入ったのは19歳の頃でした。まだお酒が飲めない年齢でしたが、キャバクラで働き始めました。
しかし人見知りもあり、お酒も飲めない、おしゃべりも得意ではない私は向いていないと思い、店長にやめようかと思っていることを相談しました。
すると店長に口説かれ、やめるどころか、店長と付き合い始め、長時間勤務するようになりました。
しかし、店長には同棲している本命の女性がいることを噂で聞き、私は働いてもらう為の色恋で付き合っているだけだと気付き別れました。
それから見返す為に必至で仕事を頑張り、ナンバーワンになりました。そして、いなければ困ると言われる存在になった頃、もう一度店長に付き合って欲しいと言われた時に思いっきり振ってやりました。
その頃、22歳を目前にしていた私は、この先ずっとこのままではいけないと思って悩んでもいたので、思いきってキャバクラを辞める決意をしました。
お店側は簡単にやめさせてはくれず、最後の月の給料は捨てて、逃げるようにやめてきました。
これから就職活動をするのに、何をしていいのかも分からない状態の中、お客さんの中で信頼できる一人に相談に乗ってもらい、派遣会社に登録することにしました。
憧れの受付業務につきたいと思っていた私は、経験もなく、生かせる資格もなかったので、案の定何度も何度も面接を落とされました。
派遣会社の担当の方にも、希望職の変更をすすめられました。そんな時、大手グループの航空会社の秘書の仕事のお話が舞い込んできました。
なんと、「前任の方が寿退社するので後任をずっと探しているが、どうしてもいい人が見つからない、この際高望みはやめて、人柄が良ければ未経験でも一から仕事を覚えてくれて、体が丈夫であればいいよ」と言われたタイミングでのお話だったので、私はとても運が良かったのです。
何もできないまま働かせてもらい、それから勉強して秘書の資格もとりました。周りの方に育てて頂き、私の秘書人生が始まったのです。
私は20歳の時に転職をしました。
2年間、勤めていたパンの製造工場を辞め、婦人服売り場に販売員として転職を決意しました。
なぜ、全く違う職種に就いたかというと、仕事に遣り甲斐を感じたかったからです。
製造業はお給料も安定していますし、作業も決まったことを時間内に行えば良いので、精神的に苦痛ではありません。人間関係に問題がなければ最高の仕事だと思います。
しかし、私の中で「ずっとこの作業をしながら生きていくのか?」と疑問が湧きました。
まだ20歳です。やろうと思えば何でもできる年頃なので新しいことを始めようと決意しました。
退職までの流れはスムーズでした。
工場長は人手が少なくなることに悩んでいましたが、パートの方々は「若いんだから外に出る仕事をしなさい」と応援してくれました。
そして、私はアパレル業界に無事デビューを果たしました。
工場とは違い、常に人からの視線が気になる職業なので、日々の生活にメリハリが付きます。
最初は何もかもが初めてなので、接客をすることも、商品出しすることも全ての作業に対し、緊張するばかりです。
入社して一番、衝撃的だったことが綺麗な女性が多いことでした。
私など存在しても良いのかと感じるほど、レベルが高いので劣等感が生まれました。
しかし、自分磨きを始めるきっかけになりました。販売員は動くマネキンという教えを守り、モチベーションを上げ、努力をしました。また、個人売りというノルマが付いてくるので、毎日がプレッシャーとの戦いです。
心を強く持っていないと、プレッシャーや劣等感で潰されてしまいそうでした。
私は販売員を長く続けたかったので、ポジティブ思考を常に頭に入れ、業務をこなしました。
努力して結果を出すことができたら、キャリアアップに繋がります。これは製造業ではあり得なかった話なのでやり甲斐を感じました。
時にスランプに襲われることもありますが、「この仕事で成功させる」という強い気持ちを抱いていたので頑張ることができました。
転職を決意して私の人生は変わりました。日々の生活が良い刺激になっているので、今はアパレルの仕事をしてイキイキとライフスタイルを楽しんでいます。
人見知りで口下手なので、仕事は内勤以外はあり得ないと思っていました。
もとの職場は医療機関系の機器や消耗品を病院や薬局納める会社での事務で、例え隅っこでも医療関係のお仕事に就けたということで満足していたのに、頼まれるとイヤと言えない性格が仇となり、業務は増える一方で深夜まで残業をするようになり、精神的にも肉体的にも辛く感じるようになりました。
現金での小売りも行っていた会社だったのですが、15時で経理が退室した後のお金の管理も任されていたのにお釣り用の小銭を預けてはもらえなかったので、仕方なくデスクの引き出しに小銭を用意しておきました。
ある日お客様にお釣りを渡そうと引き出しを開けたら、小銭の量が減っているような気がしたんですよね。
始めは勘違いかと思ったのですが、気になってから金種と総額をメモするようにしてみたところ、2週間に1度、2~300円ずつ抜かれている事がわかりました。
引き出しに鍵も掛けずに現金を置いている自分も悪いのですが、連日の残業で心身ともに疲れ果てていたところに、大人しかいないはずの職場で小銭が抜かれると言う状況に嫌気が差し、転職をすることにしました。
転職するなら同じような業種が良いと思って探していましたが、なかなか条件に合う募集が無く、平日に仕事に行かないことでご近所さんから探りを入れられるようになってしまったので、居心地の悪さから条件を広げることにしました。
新しい職場は整形外科の事務でした。
受付で患者さんと会話をしないといけないので、人見知りで口下手なのに務まるのか不安でしたが、いざ勤めてみると、怪我をしたかたが1割で9割はご年配の方で、ゆったりと和やかな環境でのお仕事になりました。
空いている時には患者さんと世間話をしたり、時には愚痴を聞いたりしていると、なかには娘のようだとか孫のようだと仰って頂けるかたもいて、いつの間にか初対面の方との会話も楽しいものだと思えるようになりました。
人見知りが改善されたことで外交的になれましたし、なにより自分がご高齢の方が好きなのだという事が分かったのが嬉しかったですね。
もしまた転職する必要が出たら、次は老人福祉施設なんかも良いかも知れませんね。
辺りが真っ暗になった冬の夕方。
道路際にあったブロックに座ってうなだれていた私は、その時決めました。
「もうこの仕事、辞めよう。」
元々事務職しか経験したことのなかった私が、営業の仕事をやってみようと思ったのには理由があります。
それは、20歳頃から叶えたかった夢を、30歳目前にしてやっと叶えることができたから。
その時、(この夢が叶えられたんだから、もっといろんなことができるんじゃないか。)という、変な自信のようなものが生まれ、事務とは全くかけ離れた営業をやってみようと思ったのです。
初めての営業の仕事は、子ども向けの教材を販売するというものでした。当時中途採用で20名ほど、全国から同時に入社した仲間と本社で研修。期間中は、ほぼ暗記とロープレという毎日でした。
そして仲間たちと別れそれぞれの営業所へ戻り、実践の日々が始まりました。しかし、私は全然販売することができません。当時は若すぎてその理由さえも分かりませんでした。
その会社には、3ヶ月以内にノルマを達成しなければ解雇されるという決まりがあり、1ヶ月経ってもノルマの数どころか、契約1つあげることができず、社内での肩身もせまくなっていきました
とうとう、自分がこの仕事をする意味を見いだせず、あの冬の日、行き交う車のライトに照らされながら、退職を決意しました。入社してからわずか1ヶ月の出来事でした。
その後の私は、また事務職に戻るのかと思いきや・・・。なぜかまた別の営業を探して、面接に挑みました。
教材ではないモノを売る営業。大人になった(歳を取った)今、「営業では何を一番に売るべきか?それが『自分』であること」を、お客様から教えていただきました。
外回りをして人に会う楽しさ、無情にも人から追い返される辛さも知ることができました。
そんな私は、現在も営業職を続けています。一度経験したら、刺激的・面白すぎて事務員には戻れません。
このように営業にもいろいろ種類がありますので、知ってみると思っているより楽しそうなイメージを持てるのではないでしょうか。
私が約10年働いた会社を辞めようと決意したのは30代前半になった頃です。
小さな印刷会社で働いていましたが、繁忙期になると、半月くらい会社に泊まり込んで徹夜に近い仕事をこなさなければなりませんでした。
この先年齢を重ねた時に働き続けるのは無理だと判断、30代の内に新しい分野で手に職をつけたいという気持ちから退職することにしました。
忙しいだけあって、職員の出入りも激しい会社だったので、退職届はあっさりと受理されました。
退職後、何をしようかと考えていたところ、ハローワークでホームヘルパー2級の職業訓練の案内書がたまたま目に入りました。
介護の仕事は人手不足と聞きますし、30代の私でも今から新しく始めることができるのではないか、と思い職業訓練に通うことにしました。
久しぶりの学校は楽しかったですが、介護の世界は思った以上に肉体的、精神的に大変であること。
そしてお給料も高いとは言えないので、介護の仕事を始めてもすぐに辞めてしまう人も多いことが段々と分かってきました。
私は30代だし、もう後がないと覚悟を決めて介護の仕事に飛び込もうと決めました。
職業訓練終了後、介護施設で勤務することになりましたが、私には介護職があっていたんでしょう、大変ながらも充実した毎日を送っています。
介護の仕事に転職するまでは営業及び営業事務の仕事をしていましたが、48歳で退職(24年勤務)し転職を考えた時には年齢制限があり、正直介護・清掃等の仕事しかなかったので、どうせなら資格のある仕事と思い介護の仕事を選びました。
最初に感じた事は今までと全く違う仕事でお客様の日常のお世話をするだけでお金を頂くという事に戸惑いを感じていましたが、仕事をしていくうちに介護は仕事として立派に成立すると思いました。得る事はたくさんあります。
対人間ですので、自分の感情は出せない職業です。良い意味でも悪い意味でも感情移入は厳禁だと思います。
仕事は24時間終日続いていくので完全チームプレーです。お客様はいつも同じ介護を求められるのでスタッフのレベルがバラバラでは仕事としてなりたちません。
前の仕事のように自分が目立てばいいという考えでは仕事になりません。みんなで情報を出し合い、みんなで良い介護をするという姿勢で仕事に臨まなくてならないのです。
そういう事を繰り返していると自分の心も豊かになります。そしてこれから私も老齢化しお客様と同じ立場になるので、色々な事例を見せて頂き、勉強になっています。
自分だったら、自分の親だったらどんな介護をしてほしいかという事を頭に置いて仕事をしています。
汚物処理もありますが3日も経てば汚いとは感じません。これには自分でも本当に驚きました。
そしてお年寄りも毎日お世話をしていると情が移り本当に可愛らしいです。今はこの仕事が自分に一番向いているのかな?と思っています。
私は新卒である企業に就職しました。
その企業はアウトソーシング事業を手がけていて、私はある大手企業の一部署に配属になりました。
配属先の先輩方は仕事には厳しかったですが頼りになる方々で、オンオフの切り替えもはっきりしていてお昼休みなどは雑談など楽しくできる良い雰囲気のところでした。
右も左もわからず、がむしゃらに仕事を覚え目の前の仕事をこなしながら数年が経ちました。
だいぶ仕事にも慣れ、少し余裕が出てきた頃です。ふと今の会社での自分の将来像が不安になってきました。
「社員は使い捨てなのか?」
数年在籍して私が自分の会社に感じたことです。
その思いは社内の雰囲気、他の社員の様子から年々強くなってきました。
そこで私はこの会社に長くはいられないと転職を決意しました。
しかし家庭の事情が厳しく、空白期間をあけられなかった私はフルで働きながらの転職活動になります。
平日に動けない私は試験で合否がほぼ決まる公務員に狙いを定めました。勉強時間は平日帰宅後と休日です。
かなり辛かった期間でしたが無事合格できた時は本当に嬉しかったです。
転職先は会社がなくなることはないですし、福利厚生も充実していています。
仕事はやはり楽なことばかりではないですが、なにより前の会社で感じていた「使い捨て感」は全くなく会社全体で頑張ろうという雰囲気が心地よく充実した毎日を送れていて幸せです。
上記の体験談を簡単にまとめると、異業種転職のメリットとしては以下のようになるのではないでしょうか。
また、業種によって、労働環境がが厳しいところとそうでないところがありますので、会社にもよりますが
というメリットが挙げられると思います。
一方で、よく見られるデメリットは、
です。今までの培った経験の大部分をかなぐり捨てて新しい領域に飛び込むのですから、こういったデメリットが発生することは想定内かと思います。
また、転職活動の際の難易度が高くなるのもデメリットです。
個人的な経験としては、転職エージェントでは、より転職が決まりやすい同業種・同職種で求人を紹介してくる傾向があります。
やはり、異業種・異職種への転職というのは、同業種への転職よりハードルが高くなりがちなのです。
とはいえ、元採用担当者の感覚からすると、業種問わずに持ち運びできるコミュニケーションスキルなど所謂「ポータブルスキル」というものがあることから、悲観することはありません。
自分の持つポータブルスキルは何か?と列挙し、それが応募先の企業が求めているものと一致すれば、その企業が異業種であっても採用される可能性は十分あります。
特に20代であれば伸びしろが高く評価されますので、確率的にはより高くなるでしょう。
もしあなたがやりがいを求めていたり、やりたいことがあるのだったら、異業種転職にも目を向けてみても良いかもしれません。
ここからは、比較的多い販売職からの異業種転職について書きたいと思います。
営業系・販売系の職種は良かれ悪かれ「売上」という成果が目に見える職種です。
ですから、店内・社内で年間売上高1位だったとか、表彰された、社長賞を取ったということであれば、強くアピールできることでしょう(ただし、、売上高何万円、何個という実際の数値だと採用担当者がピンと来ない場合がありますので注意が必要です)。
異業種でも営業系であれば、こういった実績は高く評価されると思われます。
一方で、例えばITのエンジニアになりたい、というような異業種・異職種転職の場合は、なんでこんな成績挙げてるのに、エンジニアなんかになりたいの?と思われることは確実です。こういったケースでは、しっかりと前向きな理由が説明することが必要になります。
私もこういったケースに遭遇したことがありますが、逆にこういった疑問を払拭できれば、採用にぐっと近づきます。事前に入念な準備をしておきましょう。
元販売の方で、勤続年数が少なく、上記のような目に見える成果がない場合でも、第二新卒にあたるのであれば、企業は採用の門戸を開きつつあります。
企業側としては、第二新卒に対して最低限のビジネスマナーやPCスキルを備えているとみなしています。今後も人手不足は深刻ですから第二新卒の転職市場は拡大していくでしょう。異業種転職も十分可能です。
しかし、第二新卒に当たらないようであれば、やや立場は厳しくなります。
もちろん、異業種とは言え、コールセンターのオペレーターや営業系なら、人手が不足していますので、十分に可能性があると思います。
一方で、事務系や技術系に転職するとなると、口だけが達者だと見られるだけで、アピール不足は否めません。
体力とやる気を評価してくれるような業界なら可能性はありますが、そんなブラック臭がする業界への転職は誰も望まないでしょう。
このような場合は、転職先の業界でも活かせるような資格を取っておくことが望ましいです。資格は経験よりアピール力は劣りますが、難易度の高い資格であればこの限りではありません。
これは異業種転職に限らず一般論ですが、明確なキャリアプランはなく、単に今の会社に不満があるから転職する、という方が転職を決意するのはとっても危険です。
一度転職すると転職への心理的ハードルが下がり、不満が発生する度に転職に走ってしまうということが起きがちだからです。
本来、転職というのは奥の手です。いくら、転職市場が拡大しようと、転職するには多大な労力がかかりますし、会社に居続けることで得られた経験やスキルを手放すことになりかねません。
まずは、自分が5年後、10年後にどうなっていたいか、を明確にすることが重要です。
とはいっても、そんなこと分からないよ、という方がおられると思います。
私はそれでもいいと思います。そのかわり、転職はせずに現状の仕事に”やりがい”を見出したり、プラベートに趣味を見出したりすることが必要だと思います。
客観的に仕事を眺めると、意外と面白みも出てくるものです。また、会社によっては、ジョブローテーションも可能かと思いますので、そういった手を模索してみることもアリだと思われます。
私の知り合いもアパレルの店舗で働いていましたが、職場環境に馴染めず本社に移ったという話があります。意外とウルトラCに見えますが、そういうこともあり得るのです。
小売からの転職に成功するコツは、3年から5年くらい頑張ってキャリアップを1つでもいいので成し遂げることです。たとえば、表彰されたり、マネジメントに携わることができれば、それをセールスポイントとして転職活動をすることができます。
小売の場合、人によっては早い段階から成果を上げることができるのが特徴です。20代でも店長を任されることもありますので、これは大きなアピールポイントになります。
古い会社では40前後でようやく部下が付くということもザラにあるからです。
まずは、キャリアップするために必要なことを意識して働いてみてはいかがでしょうか。
ここでは、これ以上キャリアが積めない、これ以上スキルアップできない、となるまで実績や経験を積み上げた時に転職すれば、より転職の確率は高まるでしょう。
現在、介護の現場では厳しい人手不足に陥っています。
平成30年8月現在では、介護サービスの有効求人倍率は3.35倍となっており、3社が一人の人材を奪い合うという超売り手市場になっています。
求人広告を出しても面接を受けに来る人が少ないばかりではなく、少しでも難しいことを説明すると入ってくれない、ということが起きているようです。
実際に、”有効求人数”自体は一般事務よりもやや多い程度なのですが、有効求人倍率は10倍の差があります。その差は残酷なほどです。
離職率も高い職種に入ります。平成25年における介護職員の離職率は16.6%と産業全体の15.6%を上回っています。
1番の理由としては重労働の割りにお給料が少ないことが挙げられています。
私が調べた限りででは介護職につく人の平均年収は280万~320万のようです。
厚生労働省の資料によると、ボーナスが含まれない給与額は平均で月額22万6千円程度ですから、年収は約271百万円となります。これは、産業全体の年収約299百万円を下回っています。
そのため、現在もそうですが、将来においても介護職に就く人材は不足するであろうと言われています。
外国人を就労させろという言う人までいます。
このように介護の仕事は労働環境としては厳しい反面、超売り手市場のですから、他業種からの未経験転職に対しての門徒は大きく開かれていると思います。
[box class=”box28″ title=”転職が大きな財産になった”]
30歳の主婦です。
1年前まで正社員で働いていましたが、妊娠を機に退職しました。
私は高校を卒業してから地元を離れ、地方の温泉街で大きめの旅館に就職しました。仕事内容は仲居です。
高校生の頃からアルバイトをしていたのですが、接客業がとても好きでした。そして着物を着る事にも興味があったため、どちらも叶えることが出来る旅館で働きたいと思いました。
仲居の仕事ははっきり言ってとてもきついです。朝は早いですし、夜もかなり遅くまで仕事します。その代わりに昼の休憩がとても長く、不規則な生活に慣れるまでは苦労しました。
私は宴会場の担当になることはあまりなく、部屋でお食事をする個人のお客様の担当を主にしていました。
だんだんと仕事にも慣れていき、1年が経つ頃には常連のお客様もつくようになりました。そして仕事自体もとても楽しく、私には合っていたのだと思います。就職してから3年で役職が付き、主任になりました。
その頃にはスタッフのシフト作りや、常連のお客様が来た時だけ接客をするようになり、ほとんど現場に出ることがなくなってしまいました。
その仕事ももちろんやりがいはあったのですが、私はやはりお客様と接したいという思いが強かったです。
しかしその1年後には係長になる話も出てしまい、このままでは本当に裏方の仕事になってしまうと思い、転職を決めました。
色々な方に言われましたが、私の考えは普通はおかしいのだと思います。ですが私はキャリアアップよりも、自分の好きな仕事がしたかったのです。
そして転職先ですが、知人の経営している旅館からお誘いを受けました。そこは今まで働いていた旅館とは違いとても小さい規模ですが、料理や接客も一流でほとんど常連のお客様しかいらっしゃいません。
料金も少し高めですし、待遇はそれほど変わらないのですがとても興味がありました。6年程働きましたが、実際にとても勉強になったと思います。
礼儀作法もそれまでよりもきっちり覚えられましたし、接客もうまくなったと思います。私にとってこの転職は大きな財産になりました。
子供が大きくなったら、またその旅館で働けたら良いなと思います。
[/box]
[box class=”box28″ title=”給料が変わらなくてもやりがいがある”]
大学の工学部を卒業し、大手光部品メーカーの製造部で5年間働きました。主に製造現場のライン管理を行ってきました。
入社して配属されてからというもの、定時に帰れたことはほとんどなく、日付が変わってから帰宅することが続きました。
それでも製品が売れているうちは、給料やボーナスも良かったので、なんとか続けていました。
しかし、業績が悪化しだすと人件費削減のためにパートさんが首になったり、薄利多売をするようになって、ますます忙しくなり、体力の限界でした。
また、大企業というのは、仕事が細分化されているので、自分の担当のことしか分かりません。自分は単なる会社の歯車の一部になっているような気持ちが起こりました。
中小企業でもいいから、部署全体を把握して、動けるようなところで働きたいと思い、転職を決意しました。転職活動は、働きながらこっそり行いました。
地元で堅実に業績を上げている製造業の会社をネットを使って検索し、医療機器メーカーの製造部門に応募しました。
採用試験は、面接と筆記と論文でした。
筆記試験は一般的な常識を問うもので、論文は自宅で書いて提出をしました。
テーマは、「この会社で何がやりたいのか」でした。
ずっと物づくりに関わってきたのですが、医療機器の製造という部分にとても惹かれました。
人の命に関わるやりがいのある仕事であること、患者さんそれぞれに合った商品を作りたいという気持ちをPRしました。
熱意が通じたのか2回の面接で採用が決まりました。
正直、給料は前職の会社の給料をベースに考えるとのことだったので、あまり変わりませんでした。
しかし、小さい会社なので雑用から何から何まで自分で決めて、進めていけるところにやりがいを感じています。
[/box]
[box class=”box28″ title=”職場の雰囲気がどうしても合わなかった”]
私が大学を卒業して新卒で入社してから2年たったころでした。
私はその時総務課に所属していたのですが雰囲気がとても悪く毎日会社に行くのが苦痛でした。
また休みも夏休みや年末年始などはなく2日連続は休めても3日連続で休むことができませんでした。
まだ2年しかたっていないし、知識も経験も浅いのに転職などはできないと自分の中で言い聞かせて何とか会社に通っていました。
しかし高校時代の友人が転職してという話を聞き、私にもできるのではないかと希望を持ちました。
会社では商品が売れなくなりますます会社の雰囲気が悪くなり限界が来ていました。
一度きりの人生私はこの会社につとめて終わるのかと思うと無償に悲しくなってきました。
意を決して転職した友人の話を聞き、私は転職エージェントに登録し転職活動を開始しました。
次の転職先は見つからないかもしれないけど、やらないで後悔したよりやって後悔したほうが良いと思ったからです。
それからは休みの日には面接に行くなど会社の人には何も言わずに転職活動をしました。
すると一社良い返事をもらうことができ、内定をもらうことができました。
総務での給料の仕事の経験が役立ちました。
最初は会社に退職することを伝えることが憂鬱でしたが、もう私には新しい未来が待っていると思い前だけを見ることにして退職することを伝えました。
転職先は仕事は前の職場よりは幅が広く大変に感じることもありましたが、周りの人は優しく仕事の大変さもやりがいを持つことができるようになりました。
今ではその会社で職場恋愛をして結婚し寿退社しましたが、転職して本当によかったです。
[/box]
[box class=”box28″ title=”数社の転職エージェントを使った結果”]
会社の人間関係にほとほと嫌気がさし、違う部署への異動が決まっていたのですが会社そのものが信じられず転職をしようと職を探し始めました。
新しい環境で何もできなくなる異動の前に転職したい、とこちらは必死。初めてだったのでエージェントを活用することにしました。エージェントもたくさんあり、とりあえず数社にお願いしました。
自己分析などというものは全て始まってから開始し、志望動機を考えることに精一杯という状況でした。
活動の中で、転職はとにかく時間確保が大事ということを痛感しました。働きながら履歴書、職務経歴書作成や面接に行くことは実際にやってみないとわからないことでした。
結局2ヶ月足らずで同職種内で転職することができたのですが、年齢的にも色々なことにチャレンジできる可能性のある年齢だったので、もっと他の業種や職種を見て考えるべきだったのでは?と転職した後に思っていました。
しかしながら、結果として何もわからずほぼ勢いで転職した現在の会社がとても私にあっており、良い選択ができたと思っています。
その時は深く考えていなかったのですが、偶然にも女性が働き安い企業であったことはラッキーでした。会社を変わることということがあまりわかっていなかったからゆえに、あまり深く考えすぎずに転職の決断ができたのだと思います。
[/box]
[box class=”box28″ title=”次を決めてから仕事を辞めるべき”]
大学を出てすぐに採用試験に合格し、都内の私立高校で教員をしていました。
それなりにやりがいを持って、担任の仕事や進路指導、部活動や生徒募集など、いろいろな仕事にチャレンジしていたのですが、進学校を目指して突き進もうとしている校風に合わず、転職を考え始めました。
もともと、教科指導よりも、担任としてどうやって生徒に関わるか、どうやって前向きに生きていく力を発掘するかということに興味があったので、まずは進学実績を第一優先とするような校風になかなかなじめなかったのです。
転職を少しずつ考え始めていた時に、主人の転職話が進み、東京から茨城に転居することになったので、退職を決意しました。茨城といっても、県南のほとんど千葉県という場所だったので、通勤できなくはなかったのですが、これをチャンスに職場を変えようと思ったわけです。
茨城に転居すると同時に、兼ねてから興味があった、公立中学校の講師として登録し、働き始めました。
しかし、仕事内容は同じでも立場的には正社員とは違うので、結局4年間働きましたが、お給料は公務員とは差がつく一方でした。
やはりきちんと正社員で働きたいと考え、きちんとした統一試験がない茨城県で、個々の私立学校に連絡をしまくるという原始的な方法で採用試験を受ける権利を得て、第一希望の学校に採用されました。
教員免許を持っているからといって、いくらでも就職先があると言う状態ではなく、次を決めてから仕事を辞めるというのが、やはり基本であるということを学びました。
[/box]
[box class=”box28″ title=”メーカー&受発注業務の仕事で同業種転職”]
数年務めたメーカーで受発注業務の仕事をしていました。
仕事内容も問題なく人間関係も良好でお給料面が若干寂しかったことを除けば特に不満もなく務めていたのですが、業績悪化によって勤務していた営業所が閉鎖することになってしまいました。
そこで、他の営業所への異動も可能でしたが思いきって退職することにしました。
もう少し年収をアップさせるいい機会かもしれないと思ったからです。
とは言っても、まったく別の仕事をするというのは苦労しそうだと思ったことから、長年慣れ親しんだ受発注の仕事を探すことにしました。
営業事務で検索し、業務内容に「受発注業務」とある求人に絞り転職活動をしました。
数年間の業務経験があるということが功を奏したのか、すんなり新しい転職先は見つかりました。
実際に新しい仕事を始めてみると、扱う物品に違いはあるものの基本的な仕事の流れは以前の職場と同じでした。
月末の締め業務等も要点は同じであったことから、1ヶ月過ぎてしまえばほとんどの仕事内容を習得できていました。
その間、特に困難だと感じたこともなくすべてがスムーズであったことから同じ業務内容を選んだことは正解だったと思います。
また、ほぼ同等の仕事をしながらも年収は以前よりアップしましたので、以前の会社での異動を選択せずに転職に踏み切ったことは大成功でした。
[/box]
[box class=”box28″ title=”事務から営業事務へ転職”]
私は学校を卒業後、なんとなく地元の会社に事務職で就職しました。
しかし、目的も無しに就職したこともあり、徐々にやりがいを感じられなくなっていきました。
またそれほど仕事の条件は良くなく、昔ながらの封建的な会社の体系が続いていました。
社員はそれなりに不満や愚痴を言いながら仕事をしている状態でした。
私は入社後、1年足らずで別の部署に異動になりました。
せっかく仕事を覚えてなんとかやっていけそうでしたし、仕事のやりがいも感じられてきた頃だったので非常に残念でした。
その後新しい部署で、また1から仕事を覚えることになりました。
数年経った頃、職場の先輩が忙しい時期に一気に2人辞めることになりました。
私もそろそろ潮時かなと思い、職場の人から退職の意思を聞かれた時、忙しい時期を超えた頃に退職することを伝えました。
会社を退職してから次は福利厚生など、もっと会社の制度がきちんとしている会社に就職しようと思っていました。
給料が安すぎるのも不満でした。
有給休暇は一日も使うことはありませんでしたし、誰も使ってはいませんでした。
自分のスキルを上げるために就職試験対策の勉強をしながら、転職活動をしました。
そして、なんとか大手企業に中途採用で営業事務で就職することができました。
転職先の会社は、今までの会社とは良い意味で全く違う環境でした。
福利厚生が充実していて、完全週休二日制で有給休暇も消化できました。
休日も多く、無駄なく効果的なビジネスのやり方をそこで学ぶことができました。
[/box]
[box class=”box28″ title=”シフトの希望が1日も出せない職場だった”]
アパレルなどでの人気の仕事の場合、最初はアルバイトで働いて、それからの社員登用を目指す人も多いと思います。
私もそんな1人でした。
そんな流れで、過去にシフトの希望が1日も出せない職場でアルバイトをしていたことがあります。
この会社では法事などきちんとした理由がないと休みの希望は出せないとのこと。
なぜこんなシステムなのか聞いても教えてもらえず、「今後、正社員になりたかったらそれぐらい我慢できるよね?」といった風潮の会社でした。
シフトが出来上がるのは月末近くでした。定休日もないので休みの予測が付かず、何も予定を入れることができませんでした。
2カ月を過ぎた頃にはもう「正社員になりたい。」という気持ちは完全に消えていましたし、こんな会社で時間を無駄にしたくないと思い、3カ月経たないうちに退職しました。
辞めてからあまり間を置きたくなかったので、すぐに就活を始め1カ月程で別のアパレル店に入社しました。
今の会社はシフト希望も出せますしいちいち理由も聞かれません。
有給も希望通り取る事ができます。同業なのに会社によってこんなに違うものかと驚きました。
希望が出せない以外にもサービス残業が多い会社でしたし、何かにつけて「正社員目指すんだったら...」と社員希望の人の足元を見るような発言が未だに忘れられないです。
[/box]
[box class=”box28″ title=”特技も活かせるように”]
転職前も同じ旅行業界という場所で働いていました。
そこでは、海外格安航空券の発券を担当していました。
ですから、いくつかの航空会社のシステムを利用する事ができたのです。
ところが、この会社にずっといても私はステップアップができないと思いました。
というのも、毎日残業なしで、暇な時は暇、本当に楽な仕事だったので、やりがいはそこそこありましたが、私はもっとバリバリやりたいと思ったのです。
そして、転職を決め、同じ旅行業界にすぐに転職が決まりました。
前職経験があるので、1軒目の会社で採用になりました。
ここでの仕事は、同じ業界であっても、営業職です。ある企業を担当して、その企業の方の出張手配を担当したり、その会社の方の個人旅行を手配したりします。
さらに、会社のコンベンションの準備から手配、そして引率までするという、今までにはやったことのない旅行業務だったので、物凄く大変な思いをした事も多々ありますが、すごくタメになる仕事でした。
コンベンションでは地方に行くので、大変でしたが、気分転換になりましたし、自分の得意なスペイン語を使ってスペイン語圏のホテルなどを予約したりするなど、自分の特技も活かせる仕事につけて本当に良かったと思います。
[/box]
自分の実績や経験をそのまま活かせる同業種・同職種への転職は、キャリアップとしては非常に効果的な方法です。
転職エージェントなどでも、基本的には同業種・同職種を薦めるケースが多くみられます。やはり、採用される確率を考えると同業種のほうが高いということです。
しかし、同業種の中にもホワイトな会社、ブラックな会社があります。
特に給料や福利厚生の面で現在の会社に不満がある場合は、同業種のホワイトな会社を探して転職することが有力な選択肢となると思います。意外とあなたの経験を買ってくれる会社は多いものです。
一方で、やりたい事、やりがいを求めるの場合であれば、思い切って異業種に転職するのも一つの選択肢となります。
お給料は下がる可能性がありますが、やりがいのある仕事に就けるということは他に変えられないものです。
]]>大学を卒業後、高級アパレルブランドにアルバイトとして入社後、3年間販売職をしていました。外資系という事もあって非常に待遇は悪くは無いものでした。
アルバイトでもきちんとボーナスは出ていたし、インセンティブなどもありました。
しかしながら接客業はストレスがたまる一方で、トラブルも多いのが自分としては厳しいものでした。
自分が居たブランドはメンズのブランドでしたが、同じグループの傘下にあるレディスブランドの社内セールなども購入することが出来ました。
その点は嬉しかったのですが、何だかそのブランドのバッグを格安で購入することが出来て、満足したというか、別にこの会社に居てもメリットが無いのではないんじゃないか…と思うように。
さらにはこの業界はほとんど正社員という雇用形態は無く、なれても契約社員。
就職氷河期に正社員になれずアルバイトから入社した私にとって、どうしても「正社員に憧れていた」という事もありました。
正社員になったらもっと良いボーナスがもらえるんじゃないかという事と、アパレルでいい年齢になっても務めるのは難しいかなという思いから異業種の転職を決意しました。
そこで、転職支援サービスに登録し、求人を紹介してもらい、とんとんと選考が進んだデベロッパー系の会社に就職しました。もちろん正社員として。
しかしながら、外資系からガチガチの日本企業に勤めてみると堅苦しさと上下関係、規則の多さにうんざり・・・
せっかく仕事を変えたのにたった1年でボーナスをもらう前に辞めてしまいました。
転職活動が厳しかったというのも合って、選考がすすんだ会社だけを選んで妥協したせいだと痛感しています。
私が初めて就職したのは某ケーキ屋さんの販売で、正社員として6年間働きました。
5年目位から店を任されることも多くなり、やりがいも感じてはいたけど、このまま続けていていいのか…と思うようになり転職を決意。
しかし自分は何がしたいのか、何ができるのかわかりませんでした。
求人雑誌を見たりハローワークに通ったり。
でもなかなかコレ!というものが見つからず、退職してからも悩む日々。
そんな毎日を送っていたとき、求人雑誌に「新規オープンのレストランスタッフ」の募集を発見。
給料も今までより全然低いし休みも少ない。個人経営だからきっとボーナスもないだろう。でもなぜか惹かれたこの求人。
新規オープンならみんなスタートが一緒だし、6年間学んできた接客経験も生かせる!と思い、すぐに応募しました。
やる気も伝わったのか、面接も好印象ですぐに内定が決まりました。
初めての出勤日はまだ内装途中の店内での掃除から。
オーナーがレストラン経験初めてだったので、他のスタッフと色々提案しながら作り上げました。
入社してから3ヶ月は研修期間のためフルタイムパートで働きましたが、やる事がとても多く毎日残業の日々。
おかげで見たことない金額の給料がもらえました(笑)
3ヶ月後、無事に正社員になりました。
給料は下がったもののやりがいもあり、スタッフ同士仲も良く楽しく働くことが出来ました。
しかし求人に書いてあった福利厚生の話をした時、「まだオープンしたばかりだから、店の売上が落ち着くまで待って欲しい」と言われました。
サービス残業のときもあり、徐々に会社に対する不信感もうまれてしまいました。
結局1年たっても何も変わらないし売上も全く安定せず、1年半で辞めることになりました。
求人で書かれていることを信じてきちんと聞かなかった自分も悪かったのですが、面接ではこういった質問をしっかり聞いておくことが大切だと学びました。
大学4年間で、なんとなく流れで教員免許を取得し、その資格を生かして高校の非常勤講師として2年間働きました。しかし、非常勤講師なので、生徒数が減少とともに契約は打ち切られました。
そこで、大学卒業間際に気づいて諦めていた旅行会社への就職活動をしました。
今や大手旅行会社に成長していますが、その時代はまだまだ成長段階にあった旅行会社への中途採用の面接を受けに行きました。会社内を見渡しても若い方ばかりで、まだそれ程古い会社ではないからだと思っていました。
面接時には、残業は大丈夫ですか?と聞かれ、普通の会社では残業は当たり前だと思っていた私は、何も考えずに「はい」と元気よく答えました。しかし、その意味を後に分かることになるとはこの時は疑いもしませんでした。
その後、すぐに合格の連絡を頂き、中途採用ということもあって、すぐに研修が始まりました。
海外旅行がメインの会社なので、覚えることは膨大で、知識もあまり付いていない状態で研修1か月後には、すでにカウンターに立たされていました。
旅行の提案・手配を行うコンサルタントという業務だったのですが、顧客に対して担当者制で、とても忙しい店舗だったこともあり、先輩が気に掛けるくれることもなく、お客様を待たせて怒られ、仕事で失敗をして上司に怒られ、挙句の果てに毎日終電間際の夜12時まで働く日々が続きました。
担当者制なので、自分が休みの日も会社から電話がかかってきて怒られるので、最終的には休みの日も出勤していました。
もちろん、休日出勤分の手当てはなく、残業代もほとんど出なかったので、サービス残業が当たり前の状態でした。同期には、上司からパワハラな言葉を浴びせられ、胃潰瘍になった人もいました。
あの頃の私は、ブラック企業とも考えられないほど、世間知らずで、精神的にもうつ状態になっていたのだと思います。
面接の時の「残業」という言葉に気になって、ネットでも何でも評判を調べていたらこんなことにはならなかったのだと悔いました。若い人が多いのも、すぐに辞める人が多いからだということも知りました。
結果、1年半頑張りましたが、会社を退職しました。
この会社に入って人生が狂わされたのは事実ですが、良く言えば、その後の人生で、どんな状況でもこれ以上最低なことはなかったので、前向きに人生を送れたのも事実なので、良い経験だったと今は思っています。
最近、需要が伸びている宅食の正社員を受けようと思ったのは、当時派遣社員で働いていたので正社員になって安定したいと気持ちからでした。
私が24歳の時で今思えば若さゆえだったなぁと思います。
面接を受け後日、採用の電話を頂きました。自動車の運転は好きでしたし、道を覚えるのも得意だったのと調理師免許を面接でアピールして、将来の事を考えての応募と素直に伝えました。
面接をしてくれたのは、女性の方だったのですが、この方が自分の指導者になるとは思っていませんでした。
実際働き始めたら、辛くて仕事から帰って来てお風呂場で泣いていました。
何がツライかと言えば《営業》でした。
新規のお客様はポスティングなので平気なのですが、今受け持っているお客様に新しい商品、例えばクリスマスシーズンなら丸鳥の姿焼だったりアイスケーキなどをオススメして取ってこないといけないのです。
取れなくても全く駄目ではないですが、職場ではABCと個人をグループ分けされており、自分の取ってきた商品の値段をグループごと戦わせるので、私一人足をひっぱっているので、悔しいのと影で言われているのが嫌で仕方ありませんでした。
指導者の方もここでなんで取れないのと責められる日々。そりゃそうですよね。会社もそういうイベント商品で利益を上げなければいけないのですから、頑張って取ってこいと言うのも当たり前だと思います。
私の場合新人でお客様との仲も距離があり、更に口ベタでこの仕事は本当に無理だと思いました。結構負けず嫌いなのですが、このままだと精神的にやられると本気で思ってしまう程でした。
もっと仕事内容も調べて、自分の長所短所をしっかり把握してから転職をするべきだったと思いました。
営業というとあまり良くないイメージを持つ方が多いようです。実際に、有効求人倍率を見ると、営業は常に有効求人倍率が高い、つまりそれだけ求職者に対して求人数が多いということです。
しかし、一口に営業といっても様々な種類があります。皆さんが大変というイメージを持つのは、新規開拓系の飛び込み営業、訪問営業ではないでしょうか。
最近の傾向としては、対事業所では金融系、保険系、人材紹介系の飛び込み、対個人宅では不動産系、保険系の訪問営業が多くみられる傾向にあります。
一方で、IT機器やWeb系については、電話による営業が多くなっています。手元のリストからアプローチしていくほうが、見ず知らずの会社やお宅に飛び込むよりも効率的だからです。
いずれにしても、このような飛び込み営業や訪問営業は、対人に苦手意識を持つ人や、ノルマや成果報酬に負担感を感じる人にとっては敬遠したくなるものですし、それは仕方のないことだと思います。
しかし、営業は営業でも、既存のお客さんを回るルート営業やホームページへ問い合わせを受けたら訪問するプル型の営業、店舗やショールームに来たお客様に対応する形もありますので、全てが全て厳しいという訳ではありません。勿論、対人であることには変わりませんが、生粋の技術職でない限りどの仕事についても対人的な側面はあります。営業だけが大変な訳ではないのです。
ブラックな営業や辛い営業には特徴があります。
商品の価格が低く数で稼がないといけない営業や、本来価値の無いものを取り扱う営業、競合他社が多い営業です。これは、新規開拓系の営業もルート営業も同じです。
例えば、先物やマンションなどの投資系の商品や、自己啓発系、美容器具、健康食品、羽毛布団などは、全てが全て価値がないとは言い切れませんが、価値がのない商品が含まれる割合が高い傾向にあります。こういった商品は、お客さんも用心していますし、非常に売りにくいものです。
そうすると、ノルマを設定して何が何でも商品を売ろうとしたり、成果報酬の割合を増やしたり、固定残業代を導入したり、上司がパワハラをする、洗脳研修をするような会社が出てきます。
これは嫌な営業のイメージそのままだと思います。避けるべきは正にこのような会社です。
また、会社の知名度が低いと営業も大変になります。
営業で難しいのはまず話を聞いてもらえるか否かです。下手をすると「忙しいから」とけんもほろろに追い返されるのがオチですが、知名度のある会社であればちょっと話を聞いてみようかと思わせることができますが、そうでない会社は大変です。
まとめると、営業は転職の一つの選択肢となり得ますし、決してイメージだけで選択肢から除外するものではありません。ただし、辛い営業もありますので、会社の評判や取り扱う商品・サービスを事前に調べることで、避けたほうが良いです。
私は英文科の短大を卒業したのですが、新卒で入社したのは日本企業でした。5年間勤めてみてどうしても英語を使った仕事をしたくなり、外資系企業に転職しようと思ったのです。
しかし初めての転職で、外資系企業を狙う為にはどうやって求人を探したら良いか分からず悩んでいました。
ジャパンタイムズの月曜日版には求人情報が多く掲載されていると知り、月曜日は駅のスタンドで購入する様になりました。
ところが新聞の求人欄は情報量が少なく、募集する職種と企業名、連絡先だけという求人もあり、肝心の勤務条件が全く分からなかったのです。
外資系に勤めたい一心で幾つか応募してみたのですが、面接に行くと雑居ビルのワンフロアだけというところもあり、中々張り切って仕事ができる会社を見つけることができませんでした。
そんな時にネットでの一般の求人の中に何故か外資系企業の求人があり、勤務条件や給与に関しても明記されていたのです。試しに応募してみたところ連絡があり面接を受けることができました。
その企業は丸の内の一等地にある大きなオフィスビルの2つのフロアを借りていて、理想の外資系企業そのものでした。面接も日本人と外国人の二人がしてくれたので安心できて、無事採用されたのです。
外資系企業に勤めたいと思ったら、求人を探す際に外資系専門のサイトや新聞に頼りがちですが、意外と日本企業に混じって普通のサイトにも掲載されていることがあります。
情報は偏らずにまんべんなく収集した方がスムーズに転職ができると思いました。
派遣会社を通した派遣社員としてですが、今までさまざまな業種の外資系企業で働いてきた経験があります。
外資系と一口にいっても、本当に色々な企業があります。国も色んな国の企業があるし、そこで働く日本人の比率も、ほぼ100パーセントが日本人というところもあれば、社内は殆ど白人系の外国人ばかりで日本人はせいぜい1、2割しかいない、という環境のところもあります。
あこがれの外資系企業ではあるけれども、やっぱり日本人としては日本人の多い環境というのは何となくなじみ深いというか、気楽な部分というのはあると思います。
最近は社内で英語を公用語にしている企業も多いようですが、そういう取り決めさえなければ母国語の日本語でコミュニケーションが取れる方が楽だし、日本人同士なら何となく分かりあえるところも多いと思いますから。
そんな中で、私にとってとても印象的だった企業というのは、(短期間の派遣ではありますが)ある外資系不動産会社です。
それまでにも外資系で働いた経験はありましたが、私が働いていた支社は日本人しかいないという環境だったので、新しい派遣先へいくことになった時は楽しみ半分、いつもと違う緊張も半分という感じでした。
ご存じの人もいると思いますが、派遣というのは派遣先での仕事内容がはっきり決まっています。
なので、その時もどういう仕事をするのか事前に説明があり、仕事内容や英会話などにはそれほど不安はなかったのですが、1人を除いて全員が日本語が分からない外国人の中で仕事をするという環境に緊張したのを覚えています。
でも、その結果はというと、今までにない仕事環境でした。その企業がたまたまそうだったのか、社員の人がたまたまいい人だっただけなのか、あるいは外国人の職場環境というのはこういう感じなのか、私にはよく分かりませんが、一言でいうと、ほどほどに緩い職場環境、という感じでした。
例えば、英語や仕事のことなどでちょっと分からなくなってしまっても、丁寧に説明をしてくれました。
私の勤務中はちょうど繁忙期で、連日、会議が続いていて、あまりゆっくり休憩やランチを取る時間がなかったのですが、短い休憩の時には社員しか入れない所に入れてくれて、ドリンクを自由に飲んでいいと言ってくれるし(もちろん無料)、ランチも、偉い社員の人と全く同じランチを派遣にも用意してくれるし。
こういうわけ隔てのない待遇にとても感激したのを覚えています。
結論としては、外資系とはいっても本当に業種やお国柄によってさまざまな会社があると思いますので、外資系で働きたいという人は、自分に合った環境をじっくり調べてみるといいと思います。
もともと東京でOLをしていた私。大学時代からの「海外留学」という夢を叶えるため、5年ちょいで退職し中国へ。
なぜ中国だったかというと、たまたま旅行で行った上海にハマってしまい「ここなら住める!」と直感したのがキッカケでした。
はじめは英語圏を留学先に考えていたのだが、今さら1年間英語を勉強して日本に戻ったところで、そのレベルの英語力を持った人はゴロゴロいるだろう。でも中国語ならチャンスがあるのではないか?という安直な勢いで中国行きを決めたのでした。
そして1年間中国語を勉強。でも留学中に気づいたんです。
確かに中国語ができる日本人人口は、英語に比べたら少ないかもしれません。しかし日本語がペラペラな優秀な中国人が沢山いるんです。
私の中国語なんて、彼らの日本語レベルと比べたら、まだまだ幼児レベルだと。そうなると日本に戻っても「中国語」をキーワードで転職を考えるのは難しいのではと。
自分が採用担当者だったら、間違いなく優秀な中国人を採用すると思います。現に先に日本に戻った、私よりも若くて中国のレベルも高い友人が「中国語にこだわってたら、ぜんぜん仕事決まらない…」と言っているのを聞いて、お先真っ暗状態に。
そんな中、中国に日本の人材紹介会社が進出してきていることを知り、お話を聞きに行きました。
そこで一筋の光が!なんと日系企業が現地採用として日本人を採用しているとのこと。
日本で社会人経験があり、日常会話レベルの中国語ができる方であれば、紹介できるお仕事は沢山あります!とのこと。
留学中は圧倒的に大学生が多かったので、私のように社会人経験のある日本人が少なかったことも幸いし、ヘンな話、中国では貴重な日本人人材だったようでした。
結局いろいろお仕事を紹介してもらったのですが、紹介してもらっている間に「この人材紹介会社のお仕事がしたい!」と思い、直訴したところ採用していただきました。
待遇面ではやはり日本と比べたら低かったものの、こちらで生活する分には十分な額でしたし、何よりも海外で働くなんて、私にとって夢のまた夢!だと思っていたので、ほんと人生何が起こるかわからないなと思いました。人生初の転職が、まさかまさかの海外でした。
これまでに何度か転職活動をしてきた経験があり、外資系企業の面接も、ずいぶん受けてきました。
外資系と言えば、「憧れの」というイメージが強いですが、私の経験では、外資系企業とはいっても、実際に面接を担当したり入社後に一緒に仕事をすることになる同僚は日本人というケースが大半で、面接を受けたり実際に仕事をしてきた経験上で感じたのは、外資系とはいっても、いわゆる国際色豊かで華やかな外資系企業という抱いていたイメージとはだいぶ違うということです。
私は英語が得意なため、これまで唯一の私のアピールポイントである英語を生かしたポジションを探して転職活動をしてきました。
そして、日系の企業の場合、この英語力は、まるで水戸黄門の印籠のように、最大かつ最高のアピールポイントになりましたが、残念ながら外資系の面接では、英語は出来て当たり前という会社や職種が多いため、必ずしも英語力を尋ねられるということはありません。
むしろ、それ以外の能力について聞かれることが多いです。
すぐにあがってしまう私なのでどんな面接でもすごく緊張しますが、その中でも、私にとって忘れられない面接があります。
ある有名外資系企業に面接に行った時のことです。それまでにも、沢山面接を受けてきましたが、多くの場合、面接官の人数は大体2、3人ぐらいでした。その時もそのつもりでした。
ところが、その企業へ約束の時間よりも少し早めに行って部屋で待っていると、何と日本人ばかり6~7人がぞろぞろと面接室に入ってくるではありませんか!
緊張はさらに高まって、心臓はバクバクになりました。そして面接が始まりまりました。
中には柔らかい雰囲気の人もいたような気がしますが、それよりも、少しのけぞって座り、腕組みをして終始威圧的な雰囲気を醸し出している面接官がいて、終始、威圧的な雰囲気を感じていました。そして最後に、ちょっと意地の悪い質問をしてきました。
本当に誰もが憧れるような人気企業で働けるチャンスかもしれないと、きんちょうしつつも楽しみにしていた面接でしたが、すっかりうちのめされて、うなだれるように帰宅しました。
もちろん、その面接の結果は不採用。万が一、採用されていたとしても私はその会社で働く自信は全くなくなっていたので逆にホッとしましたが、本当に忘れられない面接です。
外資系と一口に言っても、業界や会社によって雰囲気は千差万別なので、ただやみくもに外資系企業を選ぶのではなく、自分に合った企業を吟味して選ぶことをお薦めします。
2013年のアンケートですが「en転職コンサルタント」のアンケートによると外資系のメリットでは「給与水準が高いこと」、デメリットとしては「人の入れ替わりが激しいこと」ということが挙げられています。
その他の回答を見てみると、一般的にイメージされている外資系のイメージと同様、年齢や性別による待遇の差がないですとか、仕事のやり方を自分ですすめられるなどフラットな回答が多くみられました。
人の入れ代わりが激しい分、自分の好きなように?仕事をすすめられるケースが多い外資系においては、下手すると日本企業ではジョブホッパーとなってしまいがちな方にとってはむしろ合っているのかもしれません。
外資系へのイメージから転職したい方は後をたたないと思いますが、実際に外資系企業に転職するとすると、どのような転職活動を行えばいいのでしょうか?
実際、リクナビNEXTで「外資系」と求人を検索してみると100件近くの求人がHITしました。さらに求人を読み込んでいくと実際に外資系企業と思えるものは5件に1件ほど。となると3,000~4,000件以上ある求人のなかで外資系企業の数は非常に少ないと思います。
この中で私が目に付いた求人はメットライフなどの外資系生命保険の求人でした。保険系の外資系求人は多く見るので、この業種では門戸は広いのかもしれません。
その他の外資系に転職する場合、リクナビなどの転職サイトではなく、より専門的な「人材エージェント」などを利用しているケースが多そうです。いまでは外資系の専門エージェントがたくさんあります。
・・・ランスタッドは外資系の人材紹介会社ですので、海外系の求人もあります。
とはいえ、外資系の経験がない場合はどうすればいいでしょうか?おそらく未経験のまま人材エージェントにいっても英語での仕事の経験がない場合、仕事を紹介されない可能性も高いです。
選択肢としては、例えばある程度、自分で勉強した上で派遣などから、まずは経験をつけてみるのもいいかもしれません。
また、いま訪日外国人が増えているということで「やまとごごろキャリア」のようにインバウンド専門の求人サイトも登場しています。このような求人サイトに目を通すことで思いがけない求人が見つかるかもしれません。
→「やまとごころキャリア」
結婚をしてから仕事をやめて早何年。また、育児に追われていた方であれば退職したのは5年や10年以上前の話かもしれません。
2年、3年、または10年といったブランク期間を経て再就職を考えたのはいいものの、「本当にフルタイムでの仕事に戻れるんだろうか・・・」、「時間の折り合いはつくだろうか」、「そもそも面接に受かるのだろうか」と、見えない就職活動の不安で気持ちがいっぱいだと思います。
「どうしよう・・・」
「まずは、どうすれば?」
と悩める再就職を希望する方に、このページでは「就職活動を着実に1歩1歩進めるためのポイント」をまとめてみました。
どうすれば少しでも負担を減らして、自分にあった仕事を探せるのか?
まずはハローワークにおける求人数のランキングを参照して下さい。
これを見ることで、どの仕事の求人が多いのか?どの仕事が少ないのか?がわかります。今後、どの業種で仕事をするのかの判断材料になると思います。
この結果はフリーワード検索をしたものですが自動車免許が20万件と圧倒的に多いです。
次に看護師の4万件、介護系が3万件、保育士1万5000件と続きます。この辺りの職業が非常にボリュームが大きく、かつ人材不足になっていることがわかります。
※2016年3月ハローワークインターネットにて調査。
資格ではないのですが、「事務」の求人を調べたところ8万件となりました。ボリュームが多いので「事務もいいのでは」となりますが、次の有効求人倍率を見ると事務は非常に人が余っている仕事となります(面接の倍率が高い)。
→女性が一生食べていける資格にはどんなものがあるのでしょうか?
求人数 |
求人倍率 |
|
---|---|---|
事務 |
11万8558件 |
0.25倍 |
看護師 |
9万8676件 |
2.54倍 |
介護 |
17万2597 |
2.27倍 |
販売 |
16万6669件 |
1.41倍 |
情報処理(IT・Web) |
4万7022件 |
1.89倍 |
調理 |
11万4907件 |
2.01倍 |
家庭生活支援サービス |
2177件 |
2.64倍 |
上のグラフはある月のハローワークにおける有効求人倍率で高い職種と低い職種をピックアップしたものです。
有効求人倍率の見方ですが、「1」を基点として数字が低ければ低いほど人が押し寄せていることになります。つまり厳しい求人です。逆に数字が高ければ高いほど、人が応募していない求人となります。
事務の場合、0.25倍ですので1つの求人に平均して4人の応募があります。
一方で看護師の場合1つの求人に0.3人ほどとなり、10件求人があっても6件~7件は応募がまったくないと言うことになります。
つまり事務の仕事は求人数ランキングで紹介したように8万件とかなり多い求人があるのですが、それ以上に多くの女性が事務での仕事を探しており、非常に狭き門になっていることが数字でわかります。
ここ数年、特定の業種で仕事不足がささやかれているなかでこの高倍率ですから、これはとても高いです。不況期ともなれば0.1倍~0.2倍となるかもしれません。そうすれば1つの求人に対して10人の応募者がいることになるのが「事務」をとりまく環境です。
転職では基本的に経験値が重要視されます。
ですから、以前事務をしていた人については事務への転職を否定するわけではないのですが、30代~40代で転職する場合は年齢的な要因の他に、そもそも競争が非常に激しい状況であるということは忘れないで下さい。
「求人数ランキング」と「有効求人倍率」から、おすすめの資格は何か?ということを考えてみたいと思います。
→資格を取って再就職に成功された方いますか?・・・こちらのページでは、看護師、歯科衛生士などが人気でした。
取得年数:最短3年(専門学校)
金額:年間50万~100万
3年間の通学と学校費用がかかる時点で、負担が大きい資格の看護師ですが、求人数の多さと慢性的な人手不足を考えると、とても魅力的な資格です。保育士と介護関係の資格も同じような状況ですが、看護師は他2つに比べてお
給料が高いのもポイントとなります。
超高齢化社会になることで、医療費が日本の財政を圧迫していると言われていますが、医療需要が大きければ、看護師の需要も増えます。現在も有効求人倍率が2.5倍近くとまったく人が足りていません。そのためこれから看護師がどんどん増えても、求人が減ることはないと予想します。
訪問看護ステーションなども次々と設立されていますから、当分は供給を需要が上回るのではないでしょうか。
資格があっても仕事に就いていない、もしくは結婚などによる退職で資格だけもっている潜在看護師の数がかなりの人数の上るとも推測され、更に人手不足に拍車をかけていると思われます。
受験:年3回
合格率:目安20%~30%
取得年数:目安3ヶ月~6ヶ月
金額:通信講座:2万~3万/スクール5万~10万
資格の求人数ランキングを見るとわかりますが、1位~20位までランキングをみても資格取得に2年~3年の通学が必要になる資格ばかりです(介護系をのぞく)。ランキングの下の方をみると、ようやく20位前後に簿記の資格が見つかります。
簿記を取得した場合、基本的に経理に就職することになると思いますが、経理を取り巻く環境として、求人倍率は0.6倍~0.7倍となります。競争が厳しいのですが、0.25倍の事務ほどではありません。
半年程度で資格取得でき、費用もお手軽な資格のなかでは「経理2級」が・・・ということになります。
再就職を考えている女性といっても、それぞれ年齢も違いますし、今後の仕事に対する考え方も違うと思います。
そこで、これからの働き方を大きく3つにわけて、「どんな職業・仕事がおすすめなのか?」「どんな就職活動が適切なのか?」といった点について、もし自分だったらどう行動するか?といった視点で考えをまとめてみました。
60歳の定年までしっかりお給料を狙って働きたいという場合、状況が許すのであれば鉄板なのは「看護師」です。
3年間の通学があり資格取得までにお金もかかりますが、「転職のしやすさ」「お給料の高さ」「50代でもしっかり仕事ができる」という点は他の職業を引き離しています。35歳で資格取得しても、その後60歳まで25年も働く期間があることを考えると、十分に資格取得の価値があると思います。
数ある職業のなかで再就職する女性にあっているかなと思えたのが「人材コーディネーター」の仕事です。いわゆる転職エージェントや派遣コーディネーターの仕事になります。
意外に思われるかもしれませんが、2016年1月号週間ダイヤモンド『飢える営業・食える営業 大転職時代』によると、人材業界の求人数は業種別で1位とボリュームが大きいです(営業職)。
いろいろな業種からの転職者が多く、比較的転職者を受け入れやすい土壌がありそうに思えます。また、人材コーディネーターは女性の割合がけっこう高いです。
これらの人材業界は大手だけでなく、小規模の会社もたくさんあるのも魅力です。いきなり再就職で正社員になるのは厳しい可能性もありますが、アルバイト・契約社員といった求人も多いので、まずはそこから実務経験をつければ正社員転職しやすいと思います。この場合、求人探しはIndeedを使いましょう。
Indeedはハローワークの求人やアルバイト、派遣といった情報も多くでてきますので、正社員一本で探す場合は向いていませんが、アルバイトや契約社員などの求人をキーワードで一括検索したい場合にはおすすめです。
人材コーディネーターであれば事務職で働くよりも、経験が積み重なりそうですし、そのため年収アップも期待できます。
帰宅は出来れば18時ぐらいには帰りたい。ということであれば、どんな職種があるでしょうか。
単純に有効求人倍率と求人数の多さから考えると「販売」、「ホテル」の分野がおすすめになります。
どちらも有効求人倍率が1.46倍(販売)と、2.5倍(ホテル)ということで仕事があまっている状態です。どちらも求人件数のボリュームがあるため定時に帰れる仕事を見つけやすいと思います。
仕事を始めてみて実務経験が積み重なるようであれば、同業界での転職を視野に入れてもいいと思います。そうでない場合でも定時に帰れるわけですから、資格を勉強するなり、ゆっくりと別の仕事を探すなり時間を使うのがいいと思います。
短時間で働きたい場合は、どうしてもパート勤務が頭に思い浮かびがちですが、最近では「パートタイム派遣」という働き方もあるようです。この場合、働き先はどこかのオフィスになると思いますので時給も高くなると思いますし、職業観が戻ると同時に、近々にオフィスで働いた経験があるということで「やっぱりフルタイムで!」となった時に次の仕事にもつながりやすいかもしれません。
個人的にいま気になっているのが「インバウンド求人」です。
ニュースを見ていると、つい5年前までは1000万人ほどだった海外旅行者が2015年には2000万人を突破したそうです。2020年のオリンピックには4000万人を目指すそうです。こうなると今以上にホテルの数は足りなくなりますし、物も売れるわけですし、海外客相手の仕事が増えることになります。
インバウンド専門の転職サイトもできたぐらいです。(※インバウンド(訪日観光)求人サイト「やまとごころキャリア」)
主に増えているのはアジア圏からのお客さんになりますので、中国語や韓国語、またはベトナム、タイといったような言語を覚えていると、何かしら面白い仕事に就ける可能性は高いと考えています。
5年ぶり10年ぶりに仕事に復帰するとなると、どういった仕事に就ける可能性があるのか、ほとんど状況がわからないと思います。
そのためフルタイムの仕事を目指すのであれば、嫌かもしれませんがまず転職エージェントや派遣会社に登録をして、担当のコーディネーターさんと話をしたほうがいいと思います。
全く仕事を紹介されかったということであれば、そこでハローワークに切り替えるなり、看護師の資格をめざすなり、人材コーディネーターを目指すにしても、いったん派遣や契約社員で働いて実務経験をつけてから正社員になる。といったように発想の切り替えも出来ると思います。
実際、私も10年ぶりの再就職の際に人材サービスを何社か利用した経験があります。まったく求人を紹介されない会社もありました。最終的に3社~4社に登録をして仕事が見つかりましたが、各社のコーディネーターさんと話したことでかなり置かれている状況がわかってきました。登録してよかったと思っています。
仕事復帰する人が就職活動する上でウィークポイントになるのが「しばらく仕事をしていない」という点です。そこで、就活対策として紹介したいのが「ランサーズ」などのクラウドソーシングになります。
ランサーズの請負内容を見ると「企画・PR」、「リサーチ・分析・解析」、「資料作成サポート」といった内容のものがありますので自分で出来そうなのであれば、その仕事をしてみて、職種的に近いのであれば面接の際にそれをアピールしてみてもいいんじゃないかと思います。
いろいろと説明が続きましたが、再就職するには求人を探し始めないと何もはじまりません。
求人を探すための媒体として、おすすめしたい求人サービスを紹介します。
住所:東京都千代田区飯田橋3-10-3
アクセス:東西線「飯田橋」徒歩3分、中央・総武線「水道橋」徒歩5分
WEB:https://www.tokyoshigoto.jp/
東京しごとセンターはハローワークと似ていますが、「女性しごと応援テラス」などの窓口もあり再就職支援セミナーやサポートプログラムなど、女性に特化したサービスがあるのが特徴です。東京だけでなく近隣の県であっても利用可能です。距離が近いのであればオススメです。
→『東京都の女性再就職支援サービスは「穴場」だ』・・・こちらの記事が参考になります。
女性が得意な転職エージェントは窓口が女性スタッフのみといったような配慮がありますので、そういった面が気になる場合は女性が得意なエージェントがおすすめです。
再就職の場合、実務経験年数が不十分だと「求人を紹介されない」「放置されてしまう」可能性もありますが、現在は第二新卒・20代専門のエージェントも出てきていますので、チャンスは十分にあります。
最初はだれもが転職の相場観がまったくわからないわけです。申し込みをすると面談で30分~1時間ほど担当者と話すことになりますが、これも過去の経験上、求人を紹介されなくても非常に有益だった経験があるので、駄目もとでも大丈夫ぐらい思える人はエージェントはおすすめです。
女性専用の転職サイトも数が多いですが、やはり1番求人が多いであろうとらばーゆをおすすめしておきます。
最後にハローワークです。
住所:全国各地(一覧)
WEB:https://www.hellowork.go.jp/
それくらいの年齢だと、まだまだ自分にあった適正の仕事が見つかっているほうが珍しいと思いますし、ちょっと立ち止まって将来のことを考えると、よくわからなくて不安になってしまうこともあると思います。
40代が近くなった私の個人的な意見としては、24歳や25歳という年齢である第二新卒の転職はかなり有利である。と考えています。
私が転職エージェントの門を叩いたのは30代前半でしたが、20代で来てもらえればもう少し転職も楽になるんですが・・・とエージェントの人に言われた経験があります。
そして現在、空前の売り手市場になりつつあり、第二新卒の採用を増やす企業が増加しています。
とはいえ、私もその年齢のころは仕事に対して不安があり、どうすれば良いのか分からない時期がありました。
そこで今だからこそ言える、第二新卒から転職する上でベストな就職活動の方法を説明してみたいと思います。
まず1番目におすすめしたいのは、(ありきたりですが)転職エージェントになります。
転職エージェントのポイントは専任のアドバイザーがあなたに向いている求人を見つけてきてくれることです。この点だけでもかなりのメリットです。
が、私が転職エージェントの利用をおすすめする最大のポイントは、転職エージェントを利用してアドバイザーと面談や電話などのやり取りを通して、仕事の相場観や適正についての判断基準がわかってくることにつきます。
第二新卒でまだ24歳~25歳ぐらいだと、社会人経験はある程度ついていると思いますが、まだ転職先を自分で把握してしっかり選べる選択基準というのはなかなか持っていないと思います。その点アドバイザーは似たような人を毎日毎日相手にしていて、かつ面接先の会社の情報にも詳しい人ばかりですので、エージェントの人達と話すだけでも自然と情報がどんどん入ってきます。
私も過去の転職の際に同様のサービスを利用したことがあります。3社に登録して3人のアドバイザーと喋りました、相手にされなかったり、相当辛いことも言われましたが、それ以上の収穫があったと感じています。転職エージェントであればメールなり電話などでやり取りすることにもなりますので、接触の機会も多いです。
情報をもらう気持ちで使ってみるのはありだと思いますし、むしろ使わないのが非常に勿体ないと思います。
転職エージェントの利用に躓いてしまう人の理由として、例えば地方などで地理的な問題があったり、ガンガン進められてしまうのではないかとちょっと敷居の高さを感じて躊躇してしまったり。という理由が多いのではないかと思います。
しかし、もし1年以上、社会人の経験があるのであれば、駄目もとでも3社ぐらいは登録したほうが良いと思います。
転職エージェント側としては新入社員しとして入った会社で1年以上働いていれば最低ラインはクリアしていますし、2年~3年の社会人経験があればまったく問題ありません。むしろに日本の企業において20代の若い転職者は人気の傾向があり、転職サービスの60%ほどは20代の利用者になっています。
事実、私の友人2人は2年~3年働いた後に第二新卒として転職していますが、都市部のかなり満足のいく会社に内定をもらっていました。
上記に紹介している友人2名はリクルートエージェントを利用しています。
当然、リクルートだけの登録で転職が決まってしまう可能性も高いですが、もし就職活動に余裕があれば多少、無理をしてでも他のエージェントにも登録してみてサービスや担当者の違いなどを確認してみてください。20代後半や30代になってまた転職するときに、「あの時は確か3社ぐらいのエージェントを使ったけど・・・」と、今回の経験が生かされると思います。
その他のエージェントについてはこのページでは紹介しませんが、たくさんの転職エージェントがあるのでご自身で調べてみてはどうでしょうか。
2番目に紹介したいのがリクナビなどの転職サイトです。転職サイトは転職エージェントとは違い、自分で求人を検索して書類を送り書類審査に通ったら面接に進む。という形のサービスです。
転職エージェントで紹介された会社に納得がいかない、もしくはどうしても自分で見つけたい、在職中で時間をかけてマイペースに転職活動したい場合などは転職サイトの利用がおすすめです。ハローワークも自分で調べて応募しますので、ある意味転職サイトの側面が強いですが、より求人の条件がいいのは転職サイトの求人になります。
そのため、ハローワークよりも転職サイトで先にお仕事を調べることをおすすめします。
ずばり「この会社に入りたい!」と入りたい会社が決まっている場合、転職エージェントや転職サイトを通さずに直接応募してしまう方法もあります。
これを直接応募といいます。
その企業が求人を募集しているかどうかはホームページもしくは電話で問い合わせをして調べる流れになります。自分で調べないと何も始まりませんので、調べて自分で応募をするという作業が必要になります。
なんとなく「転職エージェントや転職サイトを通したほうがいいのでは?」という気持ちになるかもしれませんが、企業側としては直接応募の場合は、広告を出す経費が削減できるためメリットがあります。直接応募だから受かった。という事例も多いです。
しっかりリサーチできる人や、個別企業の求人を探すのが苦ではない人、職務経歴書などの書類作成や面接の準備などに自信がある方は直接応募をおすすめします。
ハローワークは地元や近隣の求人が多く載っているため、「近くで働きたい」という人におすすめです。無料で求人を掲載できるため、非常に多くの会社の求人が掲載されていて、これは他の転職サービスでは真似できない部分になっています。
掲載されている企業は、零細、中小企業など多種多様です。
あまり知られていませんがハローワークにも転職エージェントのような、アドバイザーからのサポートを受けられたり、面接対策などの講習を受けることができます。ただし、これらのサービスは大きめのハロワでしか扱っていませんので事前に調べることが必要になります。
注意点ですが、私もハローワークを使って求人をした経験がありますが、企業側は良い人材を沢山採用しようと求人票の見た目を良くする方向に行きがちであることは覚えておいて下さい。
悪質な企業になると、求人票で給与を良いようにみせかけることもあります。これが後々求人票と労働条件が違う!ということで大きな問題なります。実際に社会的な大きな問題となっています。
第二新卒でもバリバリ働きたい。働き方は正社員にはこだわらない。派遣でも契約社員でも大丈夫。というのであれば、リクルートの「契約社員」のお仕事をおすすめします。これは意外に知られていない穴場の働き方だと個人的に思っています。
リクルートには「リクルートライフスタイル」や「リクルートキャリア」など沢山の系列会社がありますが、実はこれらの会社では頻繁に契約社員の求人を募集しています。一例として紹介するとリクルートが発行するフリーペーパーにホットペッパーがありますが、このホットペッパーの企画営業などがそうです。
電話してアポを取って、店舗に行ってプレゼンをして、お店の広告を取ってきて、デザイナーさんと話し合いながら広告を作る、という仕事です。
契約社員といってもリクルート系の仕事はおおくの裁量で仕事を任されるので働き甲斐があります。また、お給料も同年代の社員と比べるとかなり高く設定されています。そしてなにより同じ20代の社員が大変多く働いていて楽しいと思います。
その分、激務のため離職率も高いようですが、たとえ契約社員でもリクルートの営業で働けば、それなりに職歴もつきます。こういった点から私はリクルートの契約社員をおすすめしています。
これらリクルート系の求人ですが、探し方はいたってかんたんです。リクナビで普通に掲載されていますので、フリーワード検索で「リクルート」と入力するだけで該当する仕事が数多く出てきます。
転職を考えたときにやはり武器になるのが資格だと考える人は少なくないとおもいます。そこで20代や30代の人にむけて将来でも役に立ちそうな資格を私なりにまとめてみましたので、良かったら参考にしてください。
→女性が一生食べていける資格にはどんなものがあるのでしょうか?・・・難易度の低いお手軽な資格から、手に職系の資格までいろんな視点で資格を紹介しています。
→30代の女性が資格取得の勉強に打ち込む前に読んで欲しい「資格について」・・・40代や50代になっても働き口に困らなさそうな資格をピックアップしています。
第二新卒の1番のデメリットは、若さゆえに社会常識がついてきていないケースが多いという点です。
そこがクリアできていれば日本の社会において『第二新卒』は若さという圧倒的なメリットをでしかありません。つまりアドバンテージです。
そして、第二新卒を面接する採用担当者からして1番気になるのは、何故新卒で入社した会社を短期間で辞めてしまったのか?という点です。退社理由は必ず聞かれると思ってください。
その理由次第では、即不採用になってしまうこともあるので、重要な部分です。
ここで若さゆえに馬鹿正直に答えてしまう人が結構なケースでいるように思えます。
「給料が安かったから・・・残業が多かったから・・・」という理由。まさかの社内体制への不満を話してしまうことです。
こんなことを職務経歴書に書いてしまったり、面接で話してしまうと、1発で不採用確定です。
もし、本当に超ブラック企業で待遇のひどさが退職する原因だったとしても、それを正直に書いてしまうのはNGです。
「やりたいことにチャレンジするため」というように、なんとか前向きな理由を考え出すのが第二新卒の転職者であるみなさんの仕事です。
あと、こんな退職理由も駄目です。
「上司とうまくいかなくて・・・」といった理由です。
こんなことを書けば、明らかに、人間性に問題あり・・・という印象を持たれてしまうからです。
即、不採用と言っても過言ではないでしょう。
私はちなみに30代になっても久しぶりの転職活動のため、恥ずかしながら1社目でこの体験してしまいました。
「あっ・・・」と気がついたのですが1社目はそこでやはり終了してしまいました。
しかし、しっかりと勉強させてもらい2社目からはバッチリです。無事に内定。転職活動は終了です。
本当に上司とうまくいかないことだって、他の人間関係で躓いてしまうことだって多々あるのにです。
後ろ向きな退職理由は自ら不採用にしてくれ!と言っているようなものだからです。必ず、前向きな退職理由を考えておきましょう。
突っ込まれても困惑しないように模擬面接もしておきましょう。
2~3社は無理目の会社に面接を申込んで、受かったらラッキーぐらいに思って面接の練習をするのもいいと思います。何事も経験で力がつきます。
と、第二新卒の転職活動でやらかしてしまいそうなことを書きましたが、そんなみなさんはまだ年齢が20代前半だと思います。
先述しましたが23歳、24歳、25歳。この若さは転職においてかなり有利に働きます。
職務経歴書や面接で大きなポカをしなければ、たとえ未経験でも若さで雇ってもらえる可能性は高いです。
ここで言うポカとは上にも書いているように全部を正直に話してしまうようなことです。面接の場ではたとえ本当の話でも言わなくていいことがあります。
しっかりとうまくやれば、第二新卒の転職はメリットだらけです。
もう1つ第二新卒の転職が有利な理由として、みなさんの給料体系がまだ若いので低いことが挙げられます。
30代にもなると年収が500万、600万と高い給料を出して雇わなくてはいけません。その点20代前半の皆さんのお給料は300万~400万といったところになると思います。
超大手の企業であればそういったお給料の面はあまり気にしないかもしれませんが、その他の多くの企業ではお給料がネックになって30代以降の転職が難しくなっているのも事実なんです。
「それなら、これから見込みのある新人を抑えた給料で雇いたい」
そう思っている企業はたくさんあります。
何故かというと、欧米では職務等級制度と言って、仕事に人が割り当てられる人事制度を採用する会社が殆どですが、日本では職能資格制度と言って、人に対して仕事が割り当てられるという形を取る企業が多いからです。
職能資格制度は「年功序列」がベースとなっていますので、未経験だったりスキルが未熟な若い人材を採用して、給料を低く抑えながらゆっくりと仕事を任せていくということになるのです。
つまり、第二新卒はまだまだチャンスだということです。
]]>私は、大手財閥系のメーカーに勤めていました。本社勤務だったのですが、あまり楽しくはありませんでした。
というのも若手の男の人は本社には全く来ず、大卒同期にいたっては全員が工場と研究所に行ってしまったのです。
彼らは、40過ぎて結婚して子供もできて参事職になってから、ようやく本社に来るのです。エリートばかりで、東大、京大、阪大、私立では早稲田、慶応だけです。
私は、そのおじ様たちの会社のお仕事の補佐をするお仕事で、会議の資料を、パソコンできれいにうったり、会議室の手配や準備、なんかしていました。いわゆる庶務ですね。
ある日、毎日こんなことしておじさんのお世話を焼いていても出会いもないし、きれいな青春が消えていくと悲観的になりました。それで、転職を考えるようになり大好きな洋服のアパレルメーカーで、働きたいと思ったのです。
知人の紹介で、某大手アパレルメーカーに入り営業補助のアルバイトをしました。20代後半のころです。
展示会場ではデパートみたいにブランドごと次のシーズンの飾りつけをして、商品を並べてあります。
個人のお店のバイヤーさんが買い付けに来られますが、そのタイミングで営業マンがお客さんについていたらブッキングして対応できません。そこで、私の出番なのです。
どの商品が売れ筋か、この店の客層はどんなものかを考えてアドバイスします。もちろん、お客さんはプロですから、自分の店に合った商品を選んで帰られます。
お昼をまたぐと、上の来客食堂でお寿司をご一緒します。お客様もくつろがれて、身の上話やお店のお客さんの話をしますので、そういった話の中で、この店はどういうものをお勧めしたらいいのか、見極めます。
すごくやりがいのある仕事でした。
次のシーズンにまた展示会があるわけですが、「前のシーズンにお勧めされたものが良く売れたよ」と言われればとても誇らしいのです。
しばらく働いた後に、「正社員になってもいいよ」と人事から言われました。
最初、アルバイトからの転職でしたが、仕事のやりがいもあり、アパレルということもあって年齢が近い人も多いので、転職して良かったです。
まず私が大学を卒業して新卒入社したのが生命保険会社。
そこで保険とは直接関係ない事務部門を希望し人事部のような部署に配属されました。本当に今思うと全くの世間知らずでした。
脳天気な私は“就職したらもう勉強なんてしなくていいんだ!”なんて思っていたのです。
仕事が終わったらアフター5を楽しみ、週休2日の休日は趣味を楽しもうと思っていました。
ところがいざ入社してみるとまず4~5冊の分厚い教科書をわたされ試験日までに勉強をしておくこととのことでした。
もうまさに青天の霹靂と言った感じです。
もともと大学では音楽を専攻していたので保険のことなどよくわからず休日は泣きながら教科書を読み勉強しました。
それでも私にはよく理解できずに試験には落ちてしまいました。
ただ毎日の仕事はとても楽しかったのを覚えています。
私もまだ20代で若かったということもあったのでしょう。会社の男性陣はわりと年配の方が多くとてもかわいがってもらいました。いわゆるチヤホヤしてもらっていたのです。
ただ次の試験日までの勉強は相変わらず辛かったです。せっかくの休日も休日ではないのですから。
仕事も楽しいとはいえ残業も多く3年くらいたった時から転職を考えるようになりました。
“今度は専門に勉強した音楽関係の仕事につこう!”そう思って楽器店のショールームに転職して、ショールームで楽器や楽譜の販売の仕事につきました。
そこでは休日に苦しい思いをしてまでの勉強から解放され、残業もほとんどなくなり自分の時間を持つことができるようになったと思ったのもつかの間、結局ショールームと言ってもお店でイベントごとがあるので1ヶ月の休みが3日なんてこともありました。
仕事の休日は平日だったので友達と会うこともできず、30歳を目前に結婚相手と出会うこともなくこのままでは行き遅れてしまうと2年くらい働いた時転職を決意しました。
今度は事務職のアルバイトです。
こちらは社員の方のお手伝いと言う感じで、土日もしっかりやすめて残業もほとんどなく自分の時間をたっぶり持つことができました。
ところが今度は社員の女性と上手くいかずに悩むことに。。。
自分でもこう何回も転職するのはよくないと思い今回は頑張ろうと思っていたのですが、そんな時縁あって主人と出会って結婚退職しました。
それからはしばらく専業主婦を楽しんでいたのですが、30代後半で事情で働かなくてはならなくなり、近所で事務のパートを始めました。
まわりはほとんど年下のスタッフばかり。
以前働いていた時はチヤホヤされるのが当たり前だったのに誰も私に興味をしめさないばかりかなんだか煙たがられている感じ。。。
当然若い女性上司とは上手くいかず6年働いたのち体を壊して退社しました。
これが私の転職物語です。
今思うとキャリアをつんでこなかったなということを痛感しています。
できれば転職をしないでキャリアを積んだ方がよかったなと。
また、もし転職するにしても何か確実なものを得てからステップアップする転職だったら意味があったなと感じています。
あとコミュニケーション能力も大事ですね。
結局私には何も能力がなく考えが甘かったんです。今、これからどうしようか途方に暮れています。
かなり以前の話になりますが、20代の時と30代の時に転職経験をしました。
最初に勤めた会社はそれほど自分が望むような職種ではなくて、「なんとなく入れるところに入った」的な、いい加減な気持ちを持ちながら毎日仕事をしていたと思います。
職場の人ともあまり打ち解ける事がなかったです。
男性の上役も説明ベタなのに細かい事にうるさい人で、この人の下で長い間働くのは厳しいなと感じる事が多くなってきました。
勤めが1年2年となっていくうちに、「他所の芝生は良く見える」なんて言葉があるように、友人が勤めている会社のやり方、給与、賞与、そして人間関係まで段々と良く思いてきました。
周りの反応は、「もし転職するならば20代のほうが有利だよ」と言う声と、「もう少しキャリアを積んでから転職をした方が有利だよ」と言う声と両方でした。
しかし、自分の中ではそんなにキャリアはいらないのではないかという気持ちを感じまして、20代後半と早いうちに転職をする事にしました。
結果、転職は中途採用で無事に再就職が出来ました。この時、何社も面接を受けましたが「この会社もあの会社も、女性の場合はキャリアより若さだとな・・・」と感じる事が多々ありました。
受かった会社も、職場全体を見るとベテランの女性がいないように感じたので、特に若い世代の女性を好む会社なのかなと感じました。
その会社。ほとんどの方が寿退社したら復帰はされない会社とのことです。
とはいえ給与賞与に加えて、休日に関しても以前の職場よりは全然良かったので、私はそのタイミングで転職をして本当に良かったと感じています。
新卒後に大手の飲料メーカーに入社しました。
最初の仕事は営業したが、やがて本社の商品企画部門に異動となりました。
主な仕事は、コーヒー飲料の商品企画でしたが、机に座ったり実験室にいて作業をしたりするだけではなく、商品の上市後は、その商品を全国の販売代理店で優先的に扱ってもらうために、プレゼンテーション行脚をする、というような「外に出て動く」仕事も結構ありました。
そういう仕事(開発からそれを現場で売るまでの一貫した仕事)を大学時代からしたいと思っていたので、仕事自体には非常にやりがいを感じていたのですが、しかし一方では非常な激務でした。
毎晩終電は当たり前でしたし、休日を使って他メーカーの商品を調査にスーパーを回るということも日常茶飯事でしたし、先に書いたように出張もかなりありました。
独身の頃はそれで良かったのですが、29歳で結婚した後は、夫との生活時間帯が完全にずれてしまい、これでは家庭を持った意味がないとずいぶんと悩み、その結論として、私が退職して、9時~5時で帰れるような仕事に転職することとしました。
もともと大学時代に商業簿記の2級を取っていたので、どうせならそれを生かして働こいた方が、何かと有利だと思い、転職先をハローワークや転職サイトなどで探していたところ、幸い、自宅から15分で行けるくらいのところに、大きな会計事務所があり、そこに事務として入社することが決まりました。
仕事は以前のものとは全く違いますが、それなりに面白く、また過度に負荷もないので、今のところ満足しています。
私は幼い頃から親に安定している仕事に就けといわれて育ち、体を動かさなくていい事務職につくことをしつこく進められていました。
将来に特に希望や夢がなかったので親の言うとおりの職につくことが親孝行だと思い事務で必要と思われる資格をとり事務職につきました。
しかし事務職は私にあいませんでした。楽な仕事ではあるのですが楽しくないのです。
そんなとき、普段乗っているバイクが壊れてしまい修理会社に持っていくことにしました。古い型ですし対応できる部品があるのかもわかりませんでした。
修理会社を訪れてみると、皆一生懸命仕事をし「この部品だけの交換になるかな」「いやこれも必要だろ」「これはこうしたら部品交換しないで直すだけでいいんじゃないか」などと相談して楽しそうなのです。
そのときは転職など考えていませんでした。ただ楽しそうだなぁと思っていました。
しかし日に日に自分のつまらない仕事と彼らの楽しそうな仕事を比べてしまうようになり、私は退職しました。
何でも直せるようになりたい、と思いどんなメーカーにでも対応している修理会社を調べました。
私も雑誌などを読み知識をつけたり、学校に通いました。
しかしなかなか修理会社に転職の広告はでていません。これからどうしようかなぁと思っているとき、やっと今の会社をみつけ転職しました。
給料は事務職のころよりも高く、同じことしかやらず成長のない仕事より内容が多彩です。
色んなメーカーのものがきて、知らないものは他人に聞いたりするのも面白いですし、違う会社の修理工と仲良くなって話を聞いたりするのも楽しいです。
仕事の満足が上がって手に職もついて、私は転職してよかったです。
あと、数ヶ月もすれば28歳です。まわりの女友達は結婚して子供がいたりもします。既婚者と独身が半々くらいです。
独身の友達は、みんなキャリアウーマンでバリバリと働いています。既婚者の友達は、家庭があったり子供がいたり最愛のパートナーがいたり・・・と自分の居場所があります。
それに比べて私は中途半端な人生です。20代後半にもなって、なんのキャリアもありません。2回も転職してしまったし・・・。普通、2回も転職すれば、それなりのキャリアがついていてもおかしくないでしょう。
でも、私の場合は、会社から逃げるように辞めてしまったので、キャリアなんて身についていません。
それにOLしかやったことがないので、仕事という仕事はやった事がないのです。
こんなことなら、資格をとって専門職にもで就けば、まだまだ潰しがきいたのに・・・と思ってしまいます。
そこで、3回目の転職活動を始めてみました。地域のハローワークで求人の検索です。
アラサーということもあり、今までよりお給料が高いところで働きたいと思っているのですが、そんなに都合がいい話があるわけでもなく。
そんな状態だったのですが、どうせなら自分に興味がある仕事についてみたいということでインターネット関係の仕事を探していました。
そんなときに久しぶりに友人と会う機会があり、ご飯を食べながら転職の話をしていたところ、「ハローワークだけじゃ駄目。それだったら転職サイトにも登録してみたら?」とアドバイスをもらうことになりました。
転職サイトの存在は知っていましたが、そこまでの経験もないので、なんとなく敷居が高い感じがして利用をさけていたのですが・・・
結果的には友人のアドバイスが契機になり転職できました。
20代後半でいままでに3社の社会人経験があるとはいえ、転職回数も多いのでなかば転職サイトの求人は無理だろうと思っていたのですが、1回登録してみて求人を調べて見ると、ぜんぜんといっていいほどハローワークの求人とは違いました。
お給料も高いですし、福利厚生がしっかりしているところが大半。とりあえず登録だけしてみて損はなかったと思っています。
私が登録したのはリクナビNEXTと、リクルートエージェントの2社です。
とりあえず大手に登録しておけば大丈夫かなと思って使って見ました。リクナビNEXTで気になった求人に数社応募し、エージェントでは紹介されて気になった1社に応募しました。
最終的には、リクナビで紹介されていた未経験OKの企業に無事内定をもらい、転職することになりました。
次回、もし30歳をすぎて転職をするとき、成功するかはわかりませんが、また転職サイトを使って見たいと思います。おそらくハローワークを使うのは田舎に帰って、地元の企業で働くときになるんじゃないでしょうか。
都市部にいるのであればやはり転職サイトを使うべきだと思います。
3回目の転職を、転職サイトでやってみての感想ですが、未経験でもやる気があれば転職できるんだなということです。
年齢の部分も大きかったかもしれません。20代ということでチャンスをもらえた気がします。
ちなみに自宅で半年ほどWeb作成について地道に勉強して、かんたんなホームページを作っていたりしました。それも大きかったと思います。
「転職サイト」+「年齢」+「やる気」
があれば、なんとかなるんじゃないでしょうか。
28歳の時に、それまで6年半働いていたところを辞めて、今の会社に転職しました。職種は企画職です。
以前の仕事は内容はとっても良かったのですが、アルバイト採用で、入りなんとか契約社員にはなったものの、正社員になれる見込みは無しでした。
それでも、自分の好きなことなので、別にいいかなと思っていたのですが、そんな中で、東京への部署丸ごと移転の話が出てきました。
東京に行ったら仕事の内容も少し変わるようだったし、何より、電車通勤が絶対に嫌だったので、このまま地方に残りたいと思って転職を決意しました。
4月に決意して、5月に今の会社の募集を知り、働きながら、面接試験の準備をして、7月に面接、8月に二次面接、手応えはあったものの、なかなか可否の返事が来ずに、その間に前の会社の退職手続きをして、送別会を開いてもらうことになりました。
次のあてが決まっていないのに、送り出されるという気まずい状況でした。
結局、その数日後に今の会社に転職が決定。同業で、実は前の会社とも関係があるところでした。
なので、周囲にはあまり相談できずでした。
結果的に今は正社員で給与も上がりました。その分忙しくなりましたが転職したことは後悔していません。
けど、在職中に転職の準備をするのはなかなか大変でした。
私は生まれてから34歳までずっと実家暮らしでしたが、34歳の結婚を機に転居することになりました。
その時に初めての転職活動をしたのです。
転居前は、実家から通える場所にある会社で働いていました。
辞めると決めてから、実際に退職する3カ月前に辞表を提出しました。前もって結婚退職であることは伝えてあったので、円満退職することができました。
そして残された3か月間は一生懸命働きました。それと同時に、次の転職先を探しました。
転居先は土地勘が全くなかったので、不安はありましたが、それでも住む場所の半径5キロ以内くらいで3つの候補を決めることができました。
実際に就職試験を受けたのは、転居してからです。
転居してから、実際その場所まで行ってみて印象などをもとに、転職先を1か所に絞りました。そして就職試験を受けたのです。
私はそれまでその仕事の経験があったので、即戦力を求められ、すぐに内定をいただきました。
私はこんなにすぐに決まってよいか不安にもなりましたが、やってみないと分からないと、すぐに働くことを決めました。
場所や職場が違うとそれぞれに仕事のやり方は違いますが、基本的な考え方や取り扱い方は一緒なので、仕事にもすぐになじむことができました。
スタッフにもすぐに慣れることができたのです、私の転職は成功だったといえます。
結婚を機に引っ越したため、職場までの通勤距離が片道20km程になってしまいました。
また、職場内の人事異動により、希望していた仕事内容ではなくなったこともあり、思い切って転職することにしました。
転職を決めたのはいいのですが、特に強みのある資格があるわけでもなかったため、仕事探しは苦労しました。
30歳という年齢と新婚といった状況から、どの会社の面接においても、出産の予定について聞かれました。
「特に子供を作る予定は今のところありません」と答えても、入社後すぐ妊娠になるのではと思われることが多く、なかなか採用してもらえませんでした。そのため転職活動中は、前の職場を辞めるタイミングを間違えたと、後悔ばかりしていました。
転職活動を始めて半年が経った頃、ふと見た新聞の広告の中に、医療事務講座の生徒を募集する記事がありました。
何か強みのある資格があれば就職しやすくなると思ったので、すぐに入校しました。資格取得までには、2ヶ月半かかりました。
しかし、資格を取得したおかげで、近くの病院への就職がすぐに決まりました。
もしかすると、あのまま闇雲に転職活動していても、なかなか就職先が決まらないでいたかもしれません。
講座へ通うことは、一見遠回りのように思えますが、実は一番近い転職への道だったのかもしれません。
結婚してもずっと仕事を続けたいと思いつつも、家事や家庭生活との両立を考えると、今の仕事を続けるのは、ちょっとしんどいなぁと思い、転職することを決意。
在職のまま、転職活動を開始しました。
当時、結婚2年目の32歳。
書類審査を通って、面接に行くとまず聞かれるのが、家庭との両立は大丈夫ですか?ご主人の理解はありますか?お子さんはいますか?お子さんの予定は?など、結婚&家庭生活についてのことです。
当時まだ出産は考えていませんでしたし、主人も私が働くことについて肯定的だったので、その旨伝えていましたが、同年代同キャリアの男性に比べてかなり不利だなぁと感じました。
企業側からしてみたら、せっかく採用した人材が数年のうちに出産&退職となると困る、重要な仕事を任せにくいので、仕方のないことかもしれませんが、ずいぶん家族に愚痴ったのを覚えています。
結局、やりたい仕事よりも仕事のしやすさを考え、家から通いやすく残業がないという条件を優先することにし、派遣社員で働くことにしました。
ずっと正社員の総合職でバリバリ仕事をしていたので、はじめは正直物足りなさを感じていましたが、以前に比べ仕事の責任も減り、家庭のことやプライベードに使える時間が増えたのでストレスが減りました。
今の勤め先は派遣社員から契約社員、正社員へのステップアップも可能なので、いずれは正社員で働くという選択肢もアリかなと思っています。
派遣社員だからといって手抜きせず、スキルの維持&向上につとめたいですね。
30代前半での転職活動の時のお話です。
その頃に勤務していた会社の勤務状況がほぼ毎日終電&月に数回土日出勤とかなりの激務で、年々身体がついていかなくなってきたことを実感したため、転職を考えました。
激務ではありましたが、仕事の内容としてはやりたい職種&やりがいのある仕事を任せてもらえていたので、もし転職活動してダメだったら、そのまま働き続けようと思っていたので、次が決まるまで退職せずに、転職活動を進めました。
とはいっても、平日はほぼ終電。なかなか転職活動にさける時間がありません。
出来るだけ効率よく仕事を探すにはどうすればいいか?を友人や先輩に相談し、これだ!と思ったのが、人材紹介会社の利用でした。
有給を利用して3社の人材紹介会社に登録、こちらの条件を明確にし、その条件に合う会社だけを紹介して下さいとお願いしました。
はじめはなかなか条件に合うところがなかったようで、紹介がなく少し焦りましたが、いくつか紹介していただいた案件はどれも希望に合っていたので、有給をとって面接に行き、内定をもらった会社に無事転職することが出来ました。
入社時期や給与面も、紹介会社の方を通じて、希望をきちんと伝えてもらえたので、スムーズに転職することが出来たのが助かりました。
紹介会社が紹介してくれた案件に中には、一般の求人情報にのっていない案件もあったので、働きたい業種や職種などが限られる方、在職しながら転職活動をしたい人には特におすすめします。
私はこれまでに何度も転職をしてきました。
やる気のない上司、自分は動かず顎で使う上司、開店時間なのに普通に遅刻する上司、人の個人売り上げを自分のものにしてしまう上司…
その他諸々色々ありましたが。
色々な面接を受けては落ちての繰り返しがあったりで思ったのが、面接って面白いなと思ったんです。
面接って普段入れない会社だったり施設だったりしますよね。普段入れない所に面接の一時だったとしても、その場所、場所の風景だったりが見れるので楽しいなと思ったんです。
なので落ちたりするとショックですがそういう風に楽しむのも有りかなと思ったんです。
求人広告を広げて“あっ、この場所にこんな施設が建つんだ”などそういう早めな発見もできますしそういうとこも楽しめる部分があるなと発見しましたし。
一番強烈に残った面接が、面接担当の方が時間を間違え私は予定の時間の三時間前に来てしまった事です。
それからどうする事も出来なかったので予定時間まで待ちました。時間を間違えた方からはすみませんの一言もなくそのまま何事もなかった感じになりました。
正直カチンときてしまいましたが面接も無事終わり結局その場所に就くことはなくモヤモヤしたという出来事がありました。
本当に面接マニアになるくらい色んな場所に行き色んな風景を見れた事にはいい経験したなと思います。
落ちても悔いはないです。
これが私の転職するまでの苦しい状況をやわらげるひとつの方法です。
33歳、社会人経験15年です。私はこれまでに5度の転職を経験しています。
転職のたびに色々なエピソードが生まれますが、中でも一番強烈に印象に残っているのは大手企業の派遣社員から関連会社へ転職した頃の事です。
結婚して3年目、二人目の子供が生まれ半年も経たないうちに知人からパート事務員のオファーをもらい働き始めました。
難なく4年が過ぎたころ、社長の病気によりやむなく転職活動をすることになってしまいました。
家族からフルタイムで働くことを勧められていたのもあり、ハローワークに通いながら派遣会社にも登録を行いました。
そこで見つけたのが、1年間の期限付きの大手企業の事務職でした。
産休の代務だったので、社員の方が1年を経たずに戻ってくればそこで契約終了という話でした。実際、その方は1年経たずに復帰したのですが、タイミング良く他部署で人手が不足していた為、契約通りの1年間働くことができました。
企業の方からは実力を買っていただけて、一部で正社員化の話も出ていたようなのですが、結局はコストをかける余裕がないという理由で正社員にはなれませんでした。
ちょうど契約終了まで残り1か月を切った頃、派遣先の企業の設備工事を請け負っている関連会社の社長に声をかけられました。
「うちの会社で、正社員として働いてみない?」と。
1年間頑張ってきた分やるせない気持ちがあった私にとっては、この上なく嬉しい話でした。
何度か雇用条件の確認をした後、企業側にも了解を得てその会社に転職を決めました。
あの頃は本当に神様に感謝したい気持ちでいっぱいでしたが、後にこの社長との仕事に対するスタイルや実際の雇用条件が違いすぎて、結局また転職する羽目になりました。
この1件で私が得たのは、「美味しい話にはウラがある」という教訓です。
女性にとって30代での転職は1つのターニングポイントだと思います。
結婚、出産、育児、引っ越しなどで生活環境が変わり、転職や就職をしようと思うのがこの年代の方で多いのではないでしょうか。
30代の女性が面接で必ずといって質問されることは「結婚しているか」「子供がいるか」の2つです。
結婚している、子供がいるといないではまったく違ってきます。
正社員でフルタイムで働ける、残業もできるという方を求めている企業もあれば、パートで忙しい時間や期間だけ仕事に来てほしいという企業もいます。
既婚者や子供がいるとなると仕事より家庭を重視してしまうのではと考える企業も少なくありません。
自分がどんな立場でどんな環境におかれているか、また自分ができる範囲はどこまでなのかを知る必要があります。
一方で、独身の方が既婚者より有利とは限りません。
独身でも、次に聞かれるのは結婚の予定があるかどうかです。
せっかく雇っても、結婚してすぐ退職されては人材育成に費用と時間を費やした企業側にとっては大きな損失となる場合もあるので、選ぶ側としてはこれから会社で長く働いて戦力となる人を求めている企業も中にはあるからです。
逆に、若い人材より経験豊富で安定している30代の女性を求める企業も少なくありません。
平均年齢層が高い企業や、経験者の方が教育しやすいという場合もあるからです。
企業を選ぶ時はその企業の特徴や仕事内容、時間、休みなど事前に調べたり、職場の方とお話できるようであればそういった機会をもうけてもらうこともお勧めします。
こう考えると、30代の女性が就職、転職するのは難しいと思ってしまうかもしれませんが、今まで経験してきたことを活かせる、そしてそれを望む企業は必ずあると思います。
一昔前には一般的に35歳を超えると転職が厳しくなる・・・ということで35歳限界説が広くはびこっていたと思います。
10年ぐらい前の話になりますが、私の知り合いも「35歳を超えてしまったら転職するのは、やっぱり難しくなるよね・・・」という話をしていました。求人数が大きく減るとのことでした。
ちなみにこの35歳説は男性社員の話で、女性の場合「30歳限界説」なんていう言葉も聞いたことがあります。
実際のところ、現在はどうなっているのでしょうか?
いろいろ調べてみましたが、結論としては10年前、15年前と比べると、遥かに30歳や35歳でも転職がしやくすなっています。
以前から女性の社会進出が社会問題になっており、女性の就業率も上がってきています。また、時短労働などの働き方も導入されていて、更に、女性管理職を増加させることをを方針とする会社も増加するなど以前よりもハードルはかなり下がっている、という感想を持ちます。
ここでは女性の転職限界説についてまとめてみたいと思います。
一昔前に比べて、転職年齢はそうじて平均年齢が上がっています。そして30代以降の世代の割合が増えてきています。
下記に相反する2つの記事を紹介していますが、キャリア次第では十分転職が可能ということで、このような特集がある自体、やはり前より「限界」はなくなってきているのかなと思うところもあります。
「転職ができるかどうかは、年齢よりその人のキャリアの問題。特に景気が好転している今、即戦力になる人材が求められていますから、30代後半はもちろん、40代でも50代でも実力があれば転職は十分可能です」。
「プレジデントオンライン - 女35歳、「転職限界説」は本当か?」より
ひと昔前ですと、30歳以上の女性の方については、求人票には書いていませんが、採用をためらう企業が多かったと感じます。実際、具体的にそのようなことを言われたことも多々ありました。
日本では以前から少子高齢化がすすんでいますが、それに伴って労働人口が減り、そして働き手の平均年齢があがっている状態になっています。業種によっては平均年齢が50代、40代というのも珍しくありません。
退職する人が多いあまりに人材の担い手が足りていないというニュースや、バイト不足によってアルバイト賃金が上がっているニュースなどがその一例です。
転職者の平均年齢が上がっていることは、このような人口構造の変化も背景にあるのかもしれません。